三宅町にはこんなに古墳があるんです 観光資源に活用へ
大和政権の直轄地である屯倉(みやけ)を管理した人たちの墓とされる三宅古墳群(4~6世紀)の発掘調査を三宅町が今年度から開始する。これまで本格的な調査が行われたことがない謎の多い古墳群。だが、古墳群を巡る人も多く、町ではその姿を解明し、地域活性化のための観光資源として一層活用したい考えだ。
◇全容解明へ
三宅古墳群は三宅町、川西町、田原本町にまたがる古墳群で、計17基の古墳が確認され、全長約50メートル規模の前方後円墳が中心。最大の古墳は川西町にある島の山古墳(全長190メートル)で、石製品が大量に見つかっているが、数的に最も多い11基を持つ三宅町内の古墳についてはこれまで一度も調査が行われていない。
このため、町では古墳群の全容解明をめざして発掘調査を行うことを決定。今年度は、町有地となっている前方後円墳の瓢箪山(ひょうたんやま)古墳(全長35メートル)について、秋以降に調査を実施する。瓢箪山古墳ではすでに昨年度、測量調査を実施。埋葬施設がある主体部は調査しないものの、周濠の有無を調べ、古墳の築造年代などを確定したいという。
◇日本の源流
「三宅」という言葉は大和政権の直轄地の屯倉を指すとされ、三宅町一帯には、垂仁・景行天皇の時代に屯倉が置かれたと考えられている。県内の古墳について詳しい元橿原考古学研究所副所長の泉森皎さんは「三宅町は奈良盆地の大小の川が集まる所で、もとは低湿地だった。そこを大王家(天皇家)が水田として開発し、直轄地にした。三宅古墳群は直轄地を管理していた人たちの墓で、大王家の成立と発展を考える上で、重要な古墳群だ」と指摘する。古墳群を構成する古墳は北西から南東に点在。飛鳥時代に飛鳥と斑鳩を結んだ古道「太子道」と平行するイメージだ。
泉森さんは古墳が川の自然堤防の上に造られたと推測。田原本町にある古墳からは、大陸との関係をうかがわせる馬具の旗竿の蛇行状鉄器が出土していることから、「屯倉の開発にあたった人たちは、渡来系の人たちの可能性がある」としている。
発掘調査は来年度以降も実施し、数年かけて5基前後の古墳の調査を行う予定。調査を担当する安原貴之さんは「前方後円墳が多く、政権に近い人たちがいたと思う。調査結果をもとに将来的に古墳群の史跡指定をめざしたい」と話す。
◇観光資源に
三宅町は大和盆地の中心部に位置し、面積(約4平方キロ)では県内最小の自治体。そうした中でも特産品や文化財などを活かした地域活性化に積極的に取り組んでいる。昨年は万葉花「あざさ」をPRして県内2番目となる「恋人の聖地」に選ばれた。役場近くの万葉歌碑の隣りに聖地を示すプレートを設置。全国の聖地を巡る人らが訪れている。
文化財も多く、さまざまな埴輪が出土した石見遺跡は有名で、椅子に座る人物埴輪は、橿考研のマスコットキャラクターのモデルになっている。町では三宅古墳群を町を代表する文化財ととらえ、整備を視野に入れている。町おこしにも活用していく方針で、町地域活性課は「古墳群関連のイベントを企画して、町を盛り上げていきたい」としている。(野崎貴宮)
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