【鹿角抄(コラム)】勤労感謝の日、GHQにゆがめられた新嘗祭
「勤労感謝の日」の23日、大神神社(おおみわじんじゃ、桜井市三輪)の新嘗祭(にいなめさい)に参列した。
境内の神饌(しんせん)田に実ったお米、お神酒(みき)、野菜、魚、水鳥、野鳥、昆布、水、塩など海山の恵みが高杯(たかつき、食台)に盛られ、次々と神職の手によって拝殿に運ばれ、供えられた。10月1日付で奈良支局長に着任し、生まれて初めて参列した新嘗祭だったが、生きとし生けるものへの感謝を表した厳かな儀式に身の引き締まる思いがした。
この新嘗祭というお祭りが「勤労感謝の日」となった理由を知っている人は意外と少ない。その答えは、戦後、日本を管理した連合国軍総司令部(GHQ)の占領政策によるものだった…と書いている私も実は先日まで知らなかった。そこで、GHQの占領政策に詳しい産経新聞の河村直哉論説委員に聞いた。
河村論説委員によると、神道を軸とした日本の国家主義を敵視したGHQが終戦の年の12月に神道指令を出し、自治体、公的教育機関の神道へのかかわりを禁じた。昭和23年には「国家神道の神話・教義・実践・祭礼・儀式・式典に起源と趣旨を有する祝日を廃止」などの方針を出した。この方針に沿って日本側は祝日法をまとめたという。
11月23日を祝日として残したのはせめてもの日本側の抵抗だったが新嘗祭は「勤労感謝の日」と名付けられてしまった。23年に施行された「国民の祝日に関する法律」によると、「勤労をたつとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」日となっている。お供え物だけをみると、農業や漁業などの勤労を尊び、互いに感謝しあう日と解釈できなくもないが、今回、新嘗祭に参列して、〝勤労感謝〟といった表面的なものでないことはわかった。もっと壮大な日本人ならではの天の恵み、生きとし生けるものへの思いがひしひしと感じられた。
「勤労感謝の日」を新嘗祭の名に戻せとまではいわないが、GHQの占領政策によってゆがめられた名だという事実だけは忘れたくない。 (野瀬吉信)