【なら正月記 壱】春日大社 中旬の献 新たな年 神への感謝凝縮
盆に載せられた饗膳(料理)が恭しく運ばれてきた。
杉の一枚板に盛られているのは、青豆をのせた白蒸し御強、タイの刺し身、ブリの照り焼き、ゴボウ・ダイコンの酢の物、塩餡、ミカン。タイのすまし汁と焼丸餅入り雑煮、「ほとぎ」と呼ばれる素焼きの小壷に入った濁り酒もつく。
春日大社(奈良市)の「中旬の献」と呼ばれる膳。元旦からの祈禱が満願となる今月7日に行われる神事「御祈禱始式」で供えた神饌(酒食)を下げた後、直会(宴会)で参列者に振る舞われる。
やわらかい白蒸し御強はかむほどに米の甘みがじんわりと広がる。各品、おしなべて素材のうまみを生かした上品な味付けだが、塩餡(砂糖を使わない塩味の餡)はおかずとも菓子ともつかない不思議な味だ。
「質素に感じるかもしれませんが、『海なし県』の奈良では古来、海の魚は貴重。正月の豪華な神饌として考えられた献立でしょう」と、大社の中野和正権禰宜(51)は語る。
飽食の時代に暮らす私たちには、一目しただけでは正月らしい豪華さを感じることはできないかもしれない。だが、神聖なお供えがもとであることを知った瞬間、新年を迎えられた感謝の念がこみ上げてくる。
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御祈禱始式は五節句の最初に当たる「人日」に国家の安泰や皇室、国民の繁栄を祈願する重要な神事。春日大社幣殿に白装束の神職が並んで、祓串を手に「中臣祓」(大祓詞)を3度奉唱し、凛とした新春の境内に祈りの声が響く。
古来のこの神事は明治維新に中断。明治25年に再興され、中旬の献はこのときに初めて作られたというが、同27年1月7日の社務日記には「御祈禱始の参列者に7百年来古式の飯食を出す」と記されている。
大社の秋田真吾学芸員(50)によると、明治25年の約700年前に当たる養和2(1182)年1月7日の社務日記に御強を供えた「御強神事」のもととなった「強物」の記載がある。「中旬の献の『白蒸し御強』と通じる。御祈禱始式の再興に当たり、神饌の献立を700年前の神事に求めたと考えられる」と秋田学芸員。御強は、神に供えられ、食されてきたごちそうだ。
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春日大社で行われる祭儀は日々の「日並御供」に加え、「旬祭」(毎月1、11、21日)や「節供祭」(年5日)、さらに「春日祭」「春日若宮おん祭」など年間2千回以上にのぼる。それらの多くで供えられる神饌には米や魚、野菜を調理せず、まるごと神前に供える「生饌」と、調理したものを供える「熟饌」の2種類がある。
もとは熟饌が主流だったが、明治以降は生饌が大半となり、熟饌の伝統を受け継ぐ神社は全国でもごくわずかに。春日大社では御祈禱始式や春日祭、春日若宮おん祭など、限られた祭事で「古式神饌」として献じられている。熟饌は神職が丹精して調理し、神への真心が込められるのだ。こうした神饌をもととする中旬の献は「神徳」を授かる貴重な膳ということになる。中野権禰宜はこう話す。
「本来は、今では素朴とも思えるような料理がごちそうで、神様に感謝しながらいただいた。『原点に戻れ』と教えられているように感じます」 (田中佐和)
暮らしが多様化し、季節感も薄れつつある昨今、「正月」を実感できない人も増えている。だが、奈良はまだまだ新年らしさを体感できる風物に満ちている。食や行事を通じて奈良の〝旬〟を紹介する。
春日大社・御祈禱始式と中旬の献 7日午前10時から。神職が幣殿で中臣祓を唱えた後、直会殿で春日明神の姿を描いた掛け軸「鹿島立神影図」に神饌を供え拝礼。狂言も奉納される。その後、参列者に「中旬の献」が振る舞われる。一般参拝者は参拝所から御祈禱始式の一部を見ることができる。中旬の献は御祈禱始式以外の日にも予約制で試食が可能。5500円。7日前の予約で10人以上から。問い合わせは春日大社(☎0742・22・7788)。