【鹿角抄(コラム)】 災害取材に思うこと 九州豪雨災害の現場で
11日朝、九州北部を襲った記録的豪雨で発生した災害を取材するべく、福岡県へと向かった。3年前の広島市の土砂災害、昨年の熊本地震に続き、被災地での現場取材は今回で3カ所目となる。
雨具、長靴、携帯電話の電池式充電器…。前日夜、迷うことなく次々と必要な道具をかばんに詰め込む自分に、われながら「手慣れたもんだな」と思った。取材相手のことを考えると、決して誇らしい気持ちにはなれなかったが。
新幹線で博多駅に到着後、レンタカーで福岡県朝倉市へ。道中、晴天に恵まれることもあれば、いきなり前が見えなくなるほどのゲリラ豪雨にも遭遇した。以前経験した2カ所でも、発災後に不安定な天気が続き、被災者が一層の不安を募らせることはしばしばあった。被災地は、得てしてこういう状況に陥るものなのだろうか―。そう思うと、ハンドルを握る手に力が入った。
現場から最寄りの杷木インターチェンジで下り、数分ほど車を走らせると、凄惨な様子が一気に目に飛び込んできた。土砂に巻き込まれた家の瓦やがれき、泥だらけでぺしゃんこになった車。そして、被災地特有の鼻に突き刺さるような臭いだ。
行方不明者が多数いる杷木地区では、泥だらけになりながら自衛隊や消防隊員が捜索活動にあたり、祈るようなまなざしでその様子を見守る家族らがいた。自宅に侵入した土砂を清掃しようとスコップを持った住民も、どこから手を付ければよいのか分からぬまま、呆然と立ち尽くしていた。
山から土砂が流出し、川が氾濫した現場の様子を見て回るなか、ある印象を受けた。どことなく感じる街の「田舎っぽさ」が、奈良に少し似ている気がした。
記者が見た悲惨な光景を、このコラムで100%表現できているという自信は、正直にいえばない。だが、報道の本来の目的をあえて言うと、「遠く離れた九州で起こったこと」とは、決して捉えてほしくない。
「いつか自分の身にも降りかかるかもしれない」。そう思って、その〝もしかしたら〟にぜひ備えてほしい。自分や大切な人の命を守るためにも。
(森西勇太)