【奈良県立美術館特別展 没後40年 幻の画家 不染鉄③】 《思出之記(田圃、水郷、海邊)》 一遍上人絵伝の丹念な学習による成果を発揮 11月5日まで開催
中央画壇との交流を断ったことなどから無名の画家として生涯を終えた不染だが、学生時代に親しくなり、晩年再会して旧交を温めた友人に日本画家の上村松篁がいる。年齢も学年も異なり、教官の中井宗太郎からは「天一坊と伊賀亮」と称されるほど人柄も対照的な2人だった。しかし、不思議と意気投合し、松篁は不染を親友と呼んで慕い、不染も上村家に長居してはともに食卓を囲むほどの親しい間柄となった。第二次世界大戦中に松篁の母、松園が疎開した奈良・平城の地を紹介したのも不染だったという。
松篁の述懐によれば、不染は学生時代、2日とおかず同じ場所にはおらず宿を転々とし、絵の勉強といえば専ら図書館などで《一遍上人絵伝》の模写をすることだったという。鎌倉時代の時宗の開祖「一遍」の事跡を各地の景観とともに活写したこの絵巻については、不染自身も「旅人が見た山河」と称賛していたが、その影響は作品にとどまらず、方々を放浪するようにして暮らした不染の生き方にも及んでいたようである。
昭和2年頃より一時奈良に居住していた不染は、帝展出品作を含む大作を手がけるなど画家として最も充実したときを過ごす。2・5㍍という長巻3巻からなる本作も、この頃制作された作品である。それぞれ奈良・西の京、京都・一口村に伊豆の海村という思い出の地が書簡風の文章とともに描かれている。松篁からは「唯一の欠点は怠け者であること」と評された不染だが、張りのある線描や透明感のある彩色には、《一遍上人絵伝》の丹念な学習による成果が発揮されている。 (奈良県立美術館学芸課 松川綾子)