【奈良県立美術館特別展 没後40年 幻の画家 不染鉄④】 《南海之図》 世の浮沈味わった画家自身の姿が投影 11月5日まで開催
後半生を奈良で過ごした不染は昭和27(1952)年、奈良県正強中学校(現在の奈良大学付属高校)の校長兼理事長の職を退くと政治にも関心を向け、一時は政治家への転身も思う。しかし、一方で土産物の制作や作画活動にも力を入れていった。そうした中、昭和33(1958)年、長年連れ添った妻を失う。天涯孤独となった不染の脳裏に再び思い浮かんだのは、画業に行き詰まり、不安と希望を胸に妻と2人暗い夜の海を渡ってたどりついた伊豆大島の思い出だった。
切り立った岩山が深山幽谷を思わせる孤島やさざ波が打ち寄せる美しい入り江。海岸線まで軒を連ねる漁村など。この頃から盛んに描き始めた海をテーマとした作品は、島風に吹かれ、波の音を聞き、深い海の底に潜った不染自身の体験から生み出されたものである。そして、沖合に向かうにつれ深みを増す水の色や、千変万化の趣を見せる波の表情を、墨の諧調や「筋目書き」と呼ばれる水墨画法を用いて描き出した一連の作品は、画家自身の心をも癒したのだった。
本作では蓬莱山を思わせる島を前に、大海原にポツンと投げ出されたようにして風を待つ一艘の帆船が描かれている。そこには世の浮沈を味わった画家自身の姿が投影されているかのようにも見える。島の人々の温かい人情に触れ、厳しい自然に抱かれた記憶が、美しい心象風景となって昇華された不染芸術の頂点を示す作品である。 (奈良県立美術館学芸課 松川綾子)