【不染鉄を想う ㊦】 孤独な画家の澄み切った眼、生きとし生けるものへの温かなまなざし…
こんなに温かく優しいまなざしを感じる作品を描いた、奈良ゆかりの日本画家がいたことを、恥ずかしながら知らなかった。
「幻の画家」と称される不染鉄(1891~1976年)。県立美術館(奈良市)で開催されている21年ぶりの回顧展(11月5日まで)を前に、記者発表資料に添えられた作品画像を見た際、久しぶりに感動できる絵を見ることができるのでは―と気持ちが動いた。そしていざ会場を訪ね、作品を前にすると期待は裏切られなかった。
■切なさと温もりと
惹きつけられたのは晩年の作品「いちょう」。大木のそばにお地蔵さん、周囲には黄金の落ち葉が敷き詰められ、不思議な光に包まれている。実際、神社などでイチョウの落ち葉が敷かれた光景を見るとはっとすることがあるが、こんなに神秘に、温かく表現できるものなのかと感心する。子供の頃を思い出し、繰り返し描いたモチーフだそうだ。
さらに、切なさのなかにも温かさを感じるのは、夕闇に包まれた家々を描いた「ともしび」や「旅人と灯」といった作品。障子に映る灯から一家団欒の温もりがうかがえる。20歳前後で両親を失い、各地を放浪し、やがて画壇から離れた不染は家族や故郷に対する希求が人一倍強かったようで、それだけに伝わってくるものがあるのだろう。
こうした作品群を見ていると今夏、東京ステーションギャラリーで開かれた展覧会で「なぜこんな画家があまり知られていないのか」などと、反響を呼んだことが納得できる。
■お墓はにぎやか
不染は、絵に添えられた文章や絵はがきの言葉が直接響いてくるのも特色だ。
「これから一家楽しい夕餉でせう。どうしてか悲しい事がないのに泣きそうになる。旅人は一人きりで自分の家が遠いからでせう。野も山も見えない。灯も笑い声も何も彼も今は他人のものである。母に逢ひたい」
これはさっきの「ともしび」に添えられた文章の一部。感傷的だが、一人旅していて夕暮れに見知らぬ集落に入ると誰もが抱きそうな気持ちで、孤独な人生の旅を続ける人たちの共感も呼ぶだろう。
「お墓は淋しいと言ふけどそうではないよ。色々な人が澤山いてとてもにぎやかだよ」
多くの石仏を描き、「春風秋雨」と題した作品の文章も心にしみてくる。父母や先生、友達らを思い起こし、「今思出でむねが一パイになって この画をかいてるよ」と記す。
晩年、不染は「心が静なれば此世は全部美しい」と書いた。まるで修行僧のような境地だ。孤独な画家の澄み切った眼、生きとし生けるものへの温かなまなざしがとらえた作品は私たちの心をも優しくしてくれる。 (岩口利一)