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【鹿角抄(コラム)】 四条1号墳 飛鳥時代の神武天皇陵?


ほぼ全面的に発掘された四条1号墳。北側(奥)で外濠が新たに見つかった=奈良県橿原市

ほぼ全面的に発掘された四条1号墳。北側(奥)で外濠が新たに見つかった=奈良県橿原市

日本書紀によれば、壬申の乱の最中の天武元(672)年7月、大海人皇子(のちの天武天皇)は神のお告げを受けて戦勝を祈願し、神武天皇の御陵に馬と武器を奉納した。その後、大海人皇子側の軍は大和を平定、難波にも軍を進め、壬申の乱は大海人皇子の勝利で終結する。
この「馬と武器の奉納」の記述から、当時すでに初代神武天皇を祭る御陵がつくられ、信仰を集めていたことがわかる。
御陵の場所は具体的には記されていないものの、日本書紀は神武紀の中で天皇は橿原宮で崩御し、「畝傍山東北陵」に葬ったと伝えており、その存在の有無は別にして、おそらく飛鳥時代の神武陵も畝傍山(橿原市)北東エリアにあったことがうかがわれる。
そうした飛鳥時代の姿を知る手がかりとなるのが畝傍山の北東約1㌔にあり、橿原考古学研究所が調査を進める四条1号墳=遺構図=だ。30年前に「木の埴輪」が出土し、大きな注目を集めた。当時、現場を訪れたときは埴輪に目を奪われ、墳丘の印象はほとんど記憶にないが、今回は高い土盛の上から2重の周濠を持つ古墳の姿をはっきり見ることができ、感動的だった。
四条1号墳の築造は5世紀末で、周辺には、さらに大きい円墳や前方後円墳もあったことがこれまでの調査で確認されており、その数は10基以上。こうした古墳群は、藤原京(694-710年)造営で破壊され、整地後、その跡には京内道路や建物が建てられることになる。
だが、同じエリアの神武陵はもちろん壊されず、その後も残り続けたと考えられる。それが現在の神武陵(江戸時代の治定)になるのかどうかは不明だが、この地域は持統天皇らが住んだ藤原宮のちょうど真西にあたる場所。京造営という都市計画が、神武陵や畝傍山を意識して行われた可能性もある。
畝傍山の北東エリアは飛鳥時代も神聖な場所で、四条1号墳はおそらくすぐ近くにあった、神武陵周辺の様子を伝えてくれているようだ。   (野崎貴宮)(確認用)訂1M四条1墳遺構図

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