【紀伊半島豪雨7年】広域消防の連携実感 2つの豪雨経験した消防司令長
人命救助のために県内外から多数の消防や警察、自衛隊が駆けつける大規模災害では、現場での円滑な連携が被災者の命を救う。平成23年9月の紀伊半島豪雨と今年7月の西日本豪雨。両方の被災地で活動した県広域消防組合消防本部(橿原市)の山本雅史消防司令長(48)は、「西日本豪雨では迅速に初動体制をつくることができた。連携に不慣れだった7年前の教訓が生きた」と語る。
紀伊半島豪雨時、中和広域消防組合橿原消防署勤務だった山本さんは、被災地となった五條市大塔町で、救助活動をする隊員らの後方支援をしていた。紀伊半島豪雨は、大規模災害時に県内消防本部が協力することを定めた「県消防相互応援協定」(8年締結)が初めて適用された災害だ。当時、被災地には県内の消防本部が駆けつけていた。それまで一堂に会するのは年1回の合同訓練だけだったといい、現場での連携は困難を極めた。
作戦会議を終えた上司に「野営テントはいくつ用意しますか。他の本部の分も必要ですか」と聞いても、具体的な数字が返ってこない。質問に対する答えはいつも「もう1回確認する」だったという。山本さんは「初めてのことで、細かい部分までルールを決められていなかった。日頃から連携を取ることの大切さを痛感した」と振り返る。
こうした消防の体制が変わったのは、豪雨から3年たった26年のこと。奈良市と生駒市を除く県内消防本部でつくる「県広域消防組合」が発足したのだ。2市以外の県の大部分を管轄区域とする広域化は、全国でも異例だった。同組合では次なる大規模災害に備え、約100人の隊員が宿営できる資機材を搭載した「拠点機能形成車」や「高度救助隊」を整備。新たな組織づくりが進められた。
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そして今年7月、西日本豪雨が発生した。山本さんは県内消防隊員でつくる緊急消防援助隊県大隊の一員として、甚大な浸水被害を受けた岡山県倉敷市真備町で現場の指揮を執った。
同月9日午後、同町呉妹地区で活動していた隊員から、「民家で黒煙が上がっている。住民の『助けて』という声も聞こえる」との無線連絡が入った。現場近くには県広域、奈良市、生駒市の各消防隊がいたが、山本さんは「広域で対応します」と真っ先に声を上げ、消防車を急行させた。木造2階建ての民家が激しく燃えていたが、けが人も出ず、約1時間半で消火活動を終えた。「7年前のような形で複数の消防が集まっていたら、指示系統が混乱して対応が遅れたかもしれない。普段から広域で連携していたのが功を奏した」。
異常気象による豪雨や南海トラフ巨大地震など、未曾有の被害をもたらす大規模災害の発生が懸念されている。山本さんは「消防士として、いつ災害に襲われても対応できる組織づくりをしていきたい」と表情を引き締めた。(神田啓晴)