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奈良市史料保存館で「戦時中の奈良町」展 10月6日まで


父の智厚さんから聞いた空襲の状況について話す仲矢明夫さん(右)=奈良市

 奈良市脇戸町の市史料保存館で、企画展「史料が語る戦時下の奈良町」が開かれている。第二次大戦末期の空襲の記録や防空壕の築造、寺社の仏像疎開などの資料約30点を展示。県内の空襲は東京や大阪が受けたほどの大規模ではなかったが、15回の空襲で30人以上が死亡するなどの被害を受けた。空襲で父が家を失ったという来館者が、親族の証言から当時の状況を話してくれた。
 県内が初めて空襲を受けたのは昭和20年6月1日だった。大阪大空襲で無差別爆撃を加えたB29の大編隊509機の一部が、米軍マリアナ基地に帰る途中に奈良市の上空を通過した際、佐保国民学校(現市立佐保小学校)に近い法蓮町と法華寺東町に焼夷弾を落としたと、奈良市史は伝えている。
 7月23日に同館を訪れた大阪府柏原市立小学校の教育相談員、仲矢明夫さん(64)=上牧町=によると、展示されている法蓮町の空襲被害図に図示された焼失民家2戸のうちの「奥本宅」が、父の仲矢智厚さん(当時は奥本姓)の実家だったという。
 「父は『大阪大空襲の帰りに残った焼夷弾を落とされたのだろう』と話していました。空襲の被害で(家主の)祖父は気力を失い、家の中は終戦後も暗い雰囲気だったそうです」。エンジニアとして海軍工廠で働いていた叔父が、消沈した祖父に代わって家を支えたという。
 当時、大学生だった智厚さんは京都の下宿で暮らしていたため、実家を襲った災難を目の当たりにはしていない。叔母の証言によると、焼夷弾は庭石に落ちて炎を上げ、爆風で倒れた障子に燃え移り、家財道具の一切合切が灰になった。祖母は爆弾の破片で足をえぐられ、やけども負って入院したという。
 企画展では、奈良市鳴川町に築造された防空壕の写真と復元模型、さらに四天王像などが疎開先から東大寺法華堂に戻る様子の写真(入江泰吉撮影)も展示している。10月6日まで。入館無料。月曜休館。

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