亡き母しのび、平和記念式典へ 県遺族代表の岡田康志さん
広島市で6日に開かれる「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)に、県遺族代表として奈良市の岡田康志さん(63)が出席する。昨年11月に母の園江さんを91歳で亡くし、まもなく初盆を迎える。「これを機会に、気持ちに一区切りをつけられたら」。戦後75年の節目の年。亡き母に思いをはせ、広島に向かう。
園江さんは島根県出身。地元の県立大田高等女学校に通っていたとき、広島県呉市の海軍工廠に学徒動員された。終戦翌日の昭和20年8月16日、帰路に就く際に広島駅で入市被爆したという。戦後30年以上が過ぎ、女学校の後身にあたる県立大田高校から連絡があり、昭和57年に被爆者健康手帳が交付された。
園江さんは何事にも積極的で面倒見がよい性格だったが、戦争についてはあまり話したがらなかった。康志さんは「やっぱりいい思い出がないからかな」とおもんばかる。
岡田さんによると、4年前に91歳で亡くなった父の年治さんも、満州に徴兵されていたことがあり、終戦後に大工仕事で広島に行っていたと聞いた。同様に、戦争について話すことはめったになかったという。
岡田さんは、原爆投下後に降った「黒い雨」をめぐる訴訟で、原告全員の請求を認めた先月の広島地裁判決にふれ、「母は体が弱かったが、91歳まで生きてこられたのも(被爆者健康手帳のおかげで)手厚い保護を受けられたから。他に被爆が知られていない人も、母のように保護が受けられるようになってほしい」と期待を込める。
園江さんは亡くなる数年前から入退院を繰り返し、同居する康志さんが介護していた。平和記念式典に出席するのは初めてで「母のいた呉や広島平和記念資料館を訪れ、気持ちの整理もしていきたい」と話した。