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没後1250年の称徳女帝 崇仏、道鏡寵愛…実像は


 昨年、没後1250年を迎えた女帝・称徳天皇(孝謙天皇、718~770年)。仏教に深く帰依し、出家したが、尼のまま重祚(再び即位)した唯一の天皇として知られる。病を癒やされたことから寵愛し、「怪僧」ともされる道鏡との関係も噂されたが、いったいどんな女帝だったのか。(岩口利一)
 「当山の創建、まさしく本願女帝の国家安泰を願われし深き仏法帰依の真心によること、史実に照らして歴然たり」。昨年月、ゆかりの西大寺(奈良市)で営まれた御遠忌法要で導師が表白文を読み上げ、「崇仏天皇」「尼天皇」として功績をたたえた。
 称徳天皇が藤原仲麻呂の乱の鎮圧を祈願する四天王像の造立を願い出たのが起こりとされる西大寺。東塔基壇が平城京の「東の大寺」(東大寺)に対する「西の大寺」だったことを伝える。だが、一般的に道鏡に比べ、称徳天皇の名はあまり知られていない。

壮大な伽藍を誇った西大寺を伝える東塔跡


■仏教による鎮護国家
 「父母のあつい仏教信仰のもとで成長され、それを受け継がれた。個人的信仰にとどまらず、君主権強化に敷衍させた点において古代中国の崇仏皇帝(女帝)、則天武后を思わせる」
 西大寺執事で種智院大教授(仏教史)の佐伯俊源氏はそう説明する。
 東大寺大仏を発願した聖武天皇を父に、福祉に尽力した光明皇后を母に持つ称徳天皇は、孝謙天皇として即位。後に称徳天皇として重祚した。孝謙天皇は女性で初めて皇太子になり即位したケース。「道鏡ら周囲の人の陰に隠れたイメージがあるが、自分自身のしっかりとした理念をもって政治に臨まれた天皇。仏教による鎮護国家をよく実践された」と佐伯氏は語る。
 光明皇后や仲麻呂に支えられた孝謙天皇はやがて淳仁天皇に位を譲ったが、次第に大きな影響を及ぼすようになったのが道鏡だ。
 退位後、病の際に看病に当たった道鏡を寵愛。乱を起こした仲麻呂を討つと道鏡を大臣禅師に任じ、出家した自らは再び即位した。その後法王となり、政権を握った道鏡について佐伯氏は「奈良朝の仏教信仰が爛熟期を迎えた中、必然的に登場した人」といい、後世に貼られた「悪僧」のレッテルにとらわれず実像を探る必要もあるという。
■根は芯の強い人
 称徳天皇は西大寺の造営や諸寺に納める小塔「百万塔」の造立など仏教事業を進めたが、奈良大の渡辺晃宏教授(古代史)は「神祇にも力を入れ、広く文化的な素地を持っていた。最先端の教育を受け、両親を超えようとしたことがうかがえる」と話す。
 一方、歴史小説家はこの女帝をどうとらえるのだろうか。奈良時代を描いた『火定』などで知られる澤田瞳子氏はこう指摘する。
 「藤原仲麻呂や道鏡との関係で悪女的なイメージもあるが、女性で初めて皇太子を経て即位した人物だけに皇位について非常にまじめに考えた。仲麻呂を退けたことにも生真面目さが感じられ、道鏡に頼ったところはあるにしろ、根は芯の強い人だったと思う」
 769年、道鏡は宇佐八幡宮から神託を受けたとして皇位に就こうとしたが、和気清麻呂の神託否認により阻まれた。「称徳天皇が道鏡を信頼し、自分亡き後を案じるあまり帝位を譲ろうとしたのがきっかけでは。天皇としての自己のありようを真面目に考えた末と思われる」と澤田氏。
 事件の翌年、一生独身だった女帝は50年余りの生涯を閉じた。

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