「濠は当初の形ではない」 景行天皇陵調査で研究者分析
宮内庁が整備工事に伴う発掘調査を行い4日、報道陣や研究者らに現場を公開した天理市の前方後円墳「景行天皇陵」(渋谷向山古墳、4世紀後半)。調査では後円部で葺石や敷石、埴輪列が見つかり、これまでの調査を補足する成果となった。一方、後世の改修の跡もうかがえ、見学した研究者らは「現状の濠は当初の形ではないことが分かった」とも指摘した。
今回は墳丘と、濠にのびる渡土堤の計9カ所を調査した結果、後円部北側の「第4トレンチ」から葺石と敷石、埴輪列がまとまって出土。2段目の葺石下には敷石が敷かれた1段目の平面が広がり、そこに円筒埴輪6個が並ぶ列が確認された。昭和52年度の調査で東側で確認されたものの延長線上にあたるといい、宮内庁は「過去の情報をさらに補足できた。墳丘の当初の姿も復元できる情報」と説明した。
一方、現場に入った古代学研究会陵墓委員の今尾文昭・県立橿原考古学研究所調査課長も、「第4トレンチはテラスに敷石がきれいに敷かれ、復元の資料となる」とした。
また、同古墳の濠は階段状に築かれているのが特徴だが、後世の改修がみられ、日本考古学協会陵墓担当理事の新納泉・岡山大学教授は「近世に改修され、今の濠は当初の形ではない」とした。
景行天皇陵は全長約300㍍の巨大古墳で、前方部は西を向き、盾形の周濠を巡らせている。近くには「崇神天皇陵」とされる行燈山古墳や黒塚古墳などがある。
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