松尾芭蕉の住居記述も、江戸の俳人756人の句収めた短冊帳見つかる
元禄以前に編集されたとみられる松尾芭蕉ら江戸時代初期の俳人756人の直筆の俳句804点を、作者のプロフィル付きでまとめた短冊帳「誹諧短冊手鑑(はいかいたんざくてかがみ)」を、奈良大(奈良市)の永井一彰名誉教授(近世国文学)が古書店で発見、入手し、解説と合わせて収録した資料集『誹諧短冊手鑑』(八木書店刊、税別3万5千円)として出版された。編集当時に書かれたとみられる裏書きから、芭蕉ら多くの俳人の素性を知ることのできる貴重な資料という。
永井教授によると、誹諧短冊手鑑は寛文から天和(1661~1683年)ごろ、俳句などを鑑定する専門家「古筆鑑定家」が、直筆の俳句を集め編集したもの。「雪」「月」「花」の3帳に分かれ、公家や大名、俳諧師匠などの職業別に収められた計804枚の短冊の裏などには、作者の住所などの素性がメモ書きされていた。筆跡などから、装丁を整えたのは幕府のお墨付きを受けた唯一の古筆鑑定家一族の10代目、了伴(1790~1853年)という。
俳人の素性については不明な点も多く、永井教授は「鑑定のための資料として、古筆家に受け継がれていたのでは」と推測。これほどまとまった資料が見つかったのは初めてという。
「揚水」という人物の句の裏には「甚左右衛門丁ノ又道 桃青かた」との裏書きが。「桃青」は芭蕉の別名で、揚水の住居は芭蕉宅である甚左右衛門丁と分かる。この句が詠まれた天和3(1683)年前後の芭蕉の住居は不明といい、芭蕉に関する新たな資料にもなるという。
一方、古筆家9代目の了意がつくった俳句の写しと誹諧短冊手鑑を照らし合わせると、100カ所超もの写し間違いがあることも判明。古筆家は明治時代、「信用の低下」などを理由に第13代で廃絶しており、永井教授は「どれも初心者がするような間違いであり、家名にあぐらをかいてまじめに学んでいなかったのではないか」と推察した。
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