文華殿に新たな息吹 県文化財保存事務所 山下秀樹さん
橿原神宮の境内の一角で、令和2年から6年がかりの工事が行われている。織田家ゆかりの建物で国の重要文化財「文華殿」(江戸時代後期)の修復だ。工事に携わる1人として、「次の世代にしっかり引き継がないといけない建物」との思いを改めて深くしている。
文華殿はもとは信長の弟で茶人として知られる長益(有楽斎)の息子、尚長を藩祖とする柳本藩(現在の天理市周辺)の陣屋御殿で、昭和年に橿原神宮に移築された。
現場事務所には二条城二の丸御殿や名古屋城本丸御殿をモデルにしたペーパークラフトを持ち込み、比較研究に余念がない。大阪市出身で、子供のころからの「お城マニア」だという。
平成8年に県入庁後、年に文化財保存課へ配属。生駒市の長福寺本堂(鎌倉時代)や葛城市の当麻寺西塔(平安時代)といった建物の修復を担当し、新たな発見を目の当たりにしてきた。
長福寺本堂では、護摩行の煙ですすけた本堂内陣の柱に彩色された仏の姿が描かれていたことが分かった。当麻寺西塔では、心柱の最上部から釈迦の骨を納めたとされる飛鳥時代の舎利容器が出てきた。いずれも建物を修復しなければ分からなかったことだ。建物を未来につなぐだけでなく、過去を掘り起こすきっかけを与えてくれる修復の面白さに目覚めた。
文華殿でも新たな発見があった。敷地から貝殻片が多数出土し「貝塚を掘り当てたのかと驚いた」。しかし、明治時代以降、農家の副業として盛んにつくられていた貝ボタンの材料の一部だったと判明。現在、文華殿が建っている場所は、大正時代に橿原神宮の境内となっていたが、それまでは付近に貝ボタンの工場があり、型抜きしたあとの貝殻片が廃棄されていたのだ。「敷地の歴史を物語るユニークな遺物。印象深い発見だった」と振り返る。
茶会や結婚披露宴の会場として使われてきた文華殿だが、修復前の建物は礎石が沈下し、屋根瓦が破損するなど傷みが進んだ状況だった。現在は地盤強化のためにコンクリートの基礎を新設し、いったん持ち上げていた建物を下ろす作業も完了した。今後は重量を落とすために取り外していた瓦や壁、床を設置する作業が始まる。
「たくさんの人が利用する建物。昔ながらの外観を維持しながら構造補強を行い、安心して使ってもらえるように仕上げたい」