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「選手に寄り添う指導者に」恩師がエール パリ五輪柔道団体「銀」の新添さんが引退 


五輪の銀メダルを胸に子供たちに語りかける新添左季さん(左)と上島誠治さん=12月14日、奈良県橿原市(上島さん提供)

日本中をわかせたパリ五輪の柔道混合団体で、銀メダルを獲得した女子70キロ級の新添左季(にいぞえ・さき)さん(28)=自衛隊。今月初めに現役を引退し、所属先の自衛隊コーチに就任した。悩み、苦しみながらも真摯(しんし)に柔道に向き合い続けた選手生活だった。「だからこそ、選手に寄り添う指導者になれる」。幼いころから新添さんを見てきた恩師は、新たな一歩にエールを送る。(小畑三秋)
今月14日、新添さんは自身の原点ともいえる奈良県橿原市の「橿原市柔道クラブ」を訪れた。 「PARIS 2024」と背中に記された五輪本番の柔道着姿で畳に立ち、子供たちを前に得意の内股を披露し、技の手ほどきをした。小学生対象のこの道場にはひときわ愛着があり、帰郷のたびに顔を出していた。
「背負っていた重い荷物を下ろしたような、とても穏やかな顔だった」。同クラブの上島誠治会長(56)は安堵(あんど)したように話した。

■紆余曲折の選手生活

小学1年のときに同クラブで柔道を始めた新添さん。20年あまりの選手生活は、紆余(うよ)曲折があった。
小学校高学年で頭角を現し、中学・高校は名門・天理に進学。だが高3の夏には、自身の実力に限界を感じ、上島さんに「柔道をやめたい」とこぼした。それでも、上島さんに諭された新添さんは思い直して山梨学院大に進学し、五輪を目指した。
夢がかなった今夏のパリ五輪だったが、金メダルが期待された個人戦では、敗者復活戦で敗退。直後のインタビューでは「五輪内定からの1年間、毎日苦しくて…」と声を震わせた。
その姿は、橿原市内のパブリックビューイングの大型スクリーンに映し出された。会場にいた上島さんは「あんな苦しい表情を見たことがなかった。五輪出場という一つの夢がかなった途端、今度はメダルの重圧がのしかかったんだろう」。

■柔道着を着ていない

団体戦では準々決勝、準決勝ともに内股などを豪快に決めて銀メダルを獲得。ひたむきな姿に国民は拍手を送り、2028年ロサンゼルス五輪への期待も高まった。
ただ、上島さんには気がかりがあった。五輪以降、新添さんに電話などで近況を尋ねると「稽古で柔道着は着ていない」とのこと。「もしや」との予感があったという。
そして今月7日。「これまでを振り返り、頑張ったのではないか。自分に花丸をあげたい」。新添さんは報道陣を前にこう語り、引退の意思を示した。
翌日に東京の柔道大会会場で新添さんに会ったとき、「ニュースを見たよ」と声をかけると「実はそうなんです」と言葉少なにこたえた。「よう頑張った」と声をかけるのがやっとだった。

■新たな夢へ

上島さんの頭によぎったのは、小学1年の新添さんだ。初めての大会当日、「試合なんか出たくない」と泣いて親の車から降りようとしなかった。上島さんが「試合はしなくていいよ」と話すと、安心したように車から降りてチームを応援した。
上島さんは「試合前に泣きじゃくっていた女の子が、五輪の舞台に立った。十分に大きな花丸です」と目を細める。
新添さんは今後について、「いいところを伸ばせる指導を学びたい」とも語っている。上島さんは「苦しんできた彼女だからこそ、思うように体が動かないという選手に寄り添える。彼女のように畳にバチっとたたきつける切れ味鋭い内股ができる選手は多くない。コーチになって若い選手と五輪を目指す姿を見たい」と期待を込めた。

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