平城京跡に未知の寺院? 奈良時代後半、瓦敷きの基壇出土

瓦が敷き詰められた基壇跡。すぐ右側には柱穴が1列に並んでいた=奈良市杏町
奈良市杏(からもも)町の平城京跡で、奈良時代後半(8世紀後半)の瓦を敷き詰めた基壇跡が見つかり、県立橿原考古学研究所が24日、発表した。この一帯は「惣毫寺(そうごうじ)」という地名が残っており、奈良時代の記録にはない未知の寺院があった可能性が高まった。平城京の都市構造を考える上で貴重な資料になりそうだ。

「寺」と書かれた土器の破片
調査地は、奈良時代の宮殿があった「平城宮」から約3㌔南に位置し、「平城京左京八条一坊」と呼ばれた地域。京奈和自動車道大和北道路建設に伴って約1500平方㍍を発掘したところ、基壇(高さ約30㌢)の上に瓦が長さ15㍍、幅40㌢にわたって敷き詰められているのが見つかった。大半が割れており、近くにあった寺院の瓦を転用したという。
瓦敷きに沿うように、柱穴が9基見つかり、基壇の上に大型の建物があったと推定。瓦敷きは基壇を荘厳に見せるためのものか、建物の屋根からの雨水を受ける施設の可能性もあるとしている。
また、昨年度までの周辺の発掘では、塔跡ともみられる一辺15㍍の方形の基壇跡、回廊で結ばれた南北に並ぶ大型建物跡などを検出。「寺」「仏」などと書かれた土器や、法要に使われたとみられる灯明皿200枚以上も出土し、この一帯に寺院が存在した可能性が高まった。
今回の発掘現場は平城宮から離れているため、発掘前は役人の住宅地とみられていたが、役人宅のような小規模な建物跡は見つからなかった。室町時代の文献には「正豊寺」の記録が残っているが、奈良時代に寺院があったとは考えられていなかった。
調査担当の岩﨑郁実主任技師は「この地域は中世に寺院があったとみられていたが、奈良時代にも存在したとは予想外の成果。寺院跡とすれば、今回の発掘区域外に当たる東側に中心伽藍があったのではないか」と話した。
現地説明会は27日午前10時から。近鉄橿原線・九条駅から東に約1㌔。駐車場はない。問い合わせは同研究所(0744・24・1101)。


































