西大寺造営「中国の女帝影響」 奈文研・今井氏が講話
鎌倉時代に西大寺(奈良市)を中興した興正菩薩叡尊(こうしょうぼさつえいそん)上人をしのぶ「興正菩薩忌のつどい」が命日に当たる25日、同寺であった。奈良文化財研究所の今井晃樹・都城発掘調査部副部長が講話を行い、奈良時代の西大寺造営に中国・唐文化の影響が色濃くみられることについて詳しく語った。

西大寺について講話を行う今井晃樹氏=奈良市の同寺
西大寺では毎年、同日に叡尊上人の遺徳をしのび、奥の院御廟所に献灯などを行っている。
近年、現在の西大寺周辺では発掘調査によって奈良時代の遺構の出土が相次いでいる。薬師、弥勒(みろく)の2つの金堂が並ぶなど、壮大だった西大寺の様相が浮かび上がりつつあり、書籍「称徳天皇とよみがえる古代寺院 発掘された西大寺と西隆寺」(今井氏編、同成社)も出版された。
今井氏は講話で、西大寺を創建した称徳天皇は父の聖武天皇と同様に仏教をあつく尊び、西大寺が特に唐の影響を受けたとみられることを強調。跡が残る東塔が当初は唐の寺院の影響から八角形で計画されたと推測されることなど造営について解説した。
その上で今井氏は、唐の皇帝の皇后で中国史上唯一の女帝となる則天武后(そくてんぶこう)が弥勒信仰を治世に利用した影響から、「(同じ女帝)の称徳天皇は(衆生を救済する)弥勒下生(げしょう)信仰により弥勒金堂を建てたのだろう」と指摘した。


































