橿考研博物館、弥生人の墓への思いテーマに特別展 14日まで

吉野ケ里遺跡の墳丘墓の甕棺から出土した銅剣(重要文化財)
弥生時代の死生観をテーマにした特別展「葬(ほうむ)る 弥生人は墓に何を託したか?」が橿原市畝傍町の県立橿原考古学研究所付属博物館で開かれている。2千数百年前、稲作をはじめ技術や文化が大陸から伝わり、列島が大きな変革期を迎えた中、人々の思想や社会のあり方について「墓の発掘」を通じて迫っている。6月14日まで。

高さ1㍍ほどもある甕棺(中央)などが並ぶ特別展=橿原市の橿原考古学研究所付属博物館
弥生時代は、地域によってバラエティーに富んだ墓が築かれたのが特徴。九州北部では大型の甕(かめ)に遺体を納める「甕棺墓」が広まり、王とも呼ばれる権力者には中国鏡や銅剣などが副葬された。
一方、近畿では一般人が葬られた方形周溝墓が多く、九州のような豪華な副葬品の大量副葬はみられない。大陸の玄関口だった九州は、社会がいち早く発展したともいわれるが、近畿が後進地だったわけではなく、研究者の間で大きな議論を呼んでいる。
特別展では、邪馬台国(やまたいこく)の候補地としても話題を集める吉野ケ里遺跡(佐賀県)の甕棺墓で出土した銅剣(国重要文化財)、瓜生堂(うりゅうどう)遺跡(大阪府東大阪市)の木棺の実物などを展示。高さ1㍍ほどもある九州の甕棺は関西での展示機会も少なく、来館者は興味深く見ている。
7日に開かれた講演会では會下(えげ)和宏・島根大教授が「日本では古代、悪霊は人が死んで埋葬するまでの間に遺体に入り込むと考えられ、魔よけの意味で武器や鏡などが副葬された」と解説。溝口孝司・九州大教授は「甕棺墓は一般人の墓として数多くみられたが、弥生時代後期になると庶民の墓は築かれなくなり、特定の有力者に限られた」とし、墓のあり方から人々の思考や社会の変化が見えると説いた。
特別展は一般千円、高校・大学生450円、小・中学生300円。問い合わせは同館(0744・24・1185)。


































