日本遺産目指し、保存と観光両立へ 桜井市の纒向遺跡 管理計画策定
桜井市が、初期ヤマト政権の都とされる纒向遺跡(3世紀)の整備構想を示した「保存管理計画」を策定した。訪れた古代史ファンらが楽しく散策できる環境整備を目指している。同市は市内の遺跡や神社などを一括して日本遺産に申請しており、纒向遺跡はその重要な構成要素。整備を進め観光客を増やし、地域活性化につなげたい考えだ。
■初の整備構想
「纒向遺跡は重要な遺跡だが、見学者用トイレは簡易水洗トイレが1カ所あるだけ。民家でトイレを借りる人もおり、問題になっていた」と、遺跡内の見学者用施設の不足に市関係者は嘆く。
休憩場所もホケノ山古墳に東屋風の建物が1カ所だけ。もちろん遺跡を紹介する中心的な施設はなく、遺跡整備の必要性が指摘されていた。そうした中、今回初めて遺跡全体の整備構想が示された。
計画では、中心部のJR巻向駅南西側の小学校跡地に拠点となるガイダンス施設「交流館」を設置。その中に写真パネルや模型を使って遺跡を紹介する展示室や、講座を開催できる学習室、見学者をサポートするボランティアの活動拠点、地域住民の交流拠点、ミュージアムショップなどを設ける。
一方、主要な古墳など9カ所を「サテライト」と位置付け、出土遺構の復元や休憩施設、駐車場などを設置。交流館とサテライトを結ぶ見学ルートも整備するという。
計画は、考古の専門家らでつくる策定委員会(委員9人)が約2年がかりでまとめた。委員の1人で纒向学研究センターの寺澤薫所長は「遺跡全体をカバーする広域的な整備計画になった。市民のみなさんの理解を得て、計画通りに整備が進むことを期待している」と話す。
■最古の首都遺跡
纒向遺跡は桜井市北部に位置し、東西約2キロ、南北約1・5キロの規模。昭和40年代から約190回の発掘調査が実施された。中心部の辻地区では、邪馬台国の女王・卑弥呼の宮殿跡の可能性がある建物群遺構(3世紀前半)が発見され、運河と考えられる大溝跡や、弧文円板とよばれる珍しい木製祭祀遺物も見つかっている。
卑弥呼の墓とされる箸墓古墳(宮内庁管理)や最古級のホケノ山古墳、木製品が大量に出土した勝山古墳など発生期の古墳も見ることができる。
遺跡は3世紀を中心とした「古代都市」と考えられ、飛鳥京跡から約400年遡る初期ヤマト政権時代のわが国最初の首都遺跡(宮跡)とみられている。
■10年で実現へ
保存管理計画では、交流館を平成31年度までに建設し、その後サテライトの整備を行う方針で、計画最終年度を37年度に定めている。
さらに、「飛鳥・藤原京地域」(橿原市・明日香村)、全国最大級の環濠集落「唐古・鍵遺跡」(田原本町)を合わせて歴史ゾーンと位置付け、相互連携して学びの環境を整備、魅力あるエリアの創出を訴えている。
桜井市は財政状況が厳しい中、県や国の支援を得て、多くのまちづくり事業を進める予定。その中で纒向遺跡だけに力を注ぐのは難しい状況だが、基本的には保存管理計画に沿って整備を実施したい意向だ。市幹部は「日本遺産の指定とリンクさせながら、遺跡への観光客の誘致をはかり、活性化につなげていきたい」としている。
(野崎貴宮)
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