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【鹿角抄】神社のある光景の原点を見た 御所の秋津・中西遺跡


 御所市の秋津・中西遺跡で「祭祀集落」とみられる80棟を超える建物群跡が、橿原考古学研究所の発掘調査で確認された。橿考研は、その姿を再現したイメージ図を発表。それには流路に沿って、祭祀に従事した人たちが住んだ竪穴建物と、祭殿群が整然と並んだ姿が描かれている。

秋津・中西遺跡イメージ図

秋津・中西遺跡イメージ図

 祭祀集落が栄えた時期は4~5世紀。日本の首都が桜井市の纒向遺跡にあった時代だ。橿考研は、交通の要衝としての葛城地域を重視した初期ヤマト政権が直接造営した祭祀集落とする。一方で地域性を重視し、古代の大豪族・葛城氏の祭祀集落とする考え方もある。

 このイメージ図の後方に描かれた祭殿群の遺構は、平成22年に見つかっている。何度か建て直されているらしいが、大規模な施設だったことがわかっている。最大の特徴は建物が独立棟持ち柱を持つことで、神社の原形と考えることができるという。塀に囲まれたその姿は、伊勢神宮などの大きな神社の神殿を思わせる。

 初期ヤマト政権(大王家)のものとしても、または葛城氏としても、当時、奈良盆地には他にも大豪族がいたのだから、こうした集落が大豪族などのもとでできつつあったことが想像できる。

 見つかった集落に住んでいた人たちは、巫女ら直接儀式に携わる人ばかりでなく、祭殿に供える米などの農産物をつくる人たちもいたという。もちろん、他の地域と交流しながら集落を維持することも必要だから、祭祀関係以外の仕事に携わる人もいたとみられる。

古墳時代の竪穴建物跡が見つかった秋津・中西遺跡

古墳時代の竪穴建物跡が見つかった秋津・中西遺跡

 神社はいまでこそ市や町の地域、村の集落ごとに数多く存在する。その数は約8万社とされる。日本国の成立期の4~5世紀はまだ数が少なかったのだろうが、現在のそうした地域、集落ごとに神社がある光景の出発点のひとつが、秋津・中西遺跡にある。イメージ図を見ていると、そう思えてならない。(野崎貴宮)

中西遺跡の発掘調査で確認されたエノキの切り株。切り倒す際に焼かれたことがわかる

中西遺跡の発掘調査で確認されたエノキの切り株。切り倒す際に焼かれたことがわかる

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 (関西のニュースは産経WEST http://www.sankei.com/west/west.html)

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