【まちの近代化遺産・再録】五新鉄道 歴史に翻弄された幻の鉄道跡
五條市と和歌山県新宮市をつなぐ新たな鉄道路線として、地元の大きな期待に後押しされ、大正時代に構想がスタートした「五新鉄道」。五條市の中心部から旧西吉野村、旧大塔村方面に国道168号を走ると、田園や山間のあちこちに、鉄道敷設のため建設され、残された巨大な橋脚やトンネルが現れる。
一番簡単に見ることができるのは、五條市新町の国道24号にある高架橋だ。以前は国道をまたぐ構造になっていたが、現在は道路の上の部分は取り払われ、両脇に遺構が残されている。ほかにも、特に旧西吉野村では橋やトンネルがあちこちに残されている。
県南部は、近代以前から木材や鉱石を産出していた。このため、資源を運搬するための鉄道建設が持ち上がったのは、大正8年だった。
この年、現在の五條市などを管轄する「宇智吉野郡会」で、鉄道建設に向けて国会陳情することを議決。9年には地元に期成同盟会も結成されて運動は大きく盛り上がり、11年には鉄道敷設原案が作られるなど、実現に向けた議論は進んでいく。
とんとん拍子で話が進んだ背景について、五條市立五條文化博物館の山本望実学芸員は、「当時は近代化を牽引(けんいん)するものとして、大量輸送できる鉄道が各地でばんばん敷設されていたため」と説明する。
しかし、12年に関東大震災が発生したことや、政府の緊縮財政方針で延期が続く。昭和12年に日中戦争が始まって軍事予算が膨大になると、14年に起工式が行われたものの、戦争の激化で工事は中断。戦後に再び工事が進められ、五條市内の一部区間で線路を敷設する路盤が完成したが、この路盤に鉄道ではなくバスを通す案が浮上するなど、混乱した。
自家用車の普及が進み、建設主体の国鉄が経営不振に陥る中で56年、42億円が投じられた工事はついに中止が決定。平成2年には期成同盟会も解散した。山本学芸員は「国策として進められた鉄道事業なので、国の動向や社会情勢に大きく左右され、開通しないまま〝幻〟となってしまった」と解説する。
完成している路盤は、路線バス専用道として40年から旧国鉄バスがバスを運行。現在は奈良交通が引き継いで運行している。
しかしそれも、トンネルの老朽化で安全が確保できなくなったことから、26年10月から通常の国道を通るルートに変更。五新鉄道跡を通るバス路線もなくなることが決まった。
近代化を象徴する鉄道だが、それだけに五新鉄道は戦争や自家用車の普及など、日本の近代がたどった歴史に翻弄され続けた。今も残る高架橋やトンネルを訪ねると、もし開通していれば、沿線や駅周辺には今とは違う光景が広がっていたのだろうか、と考えさせられる。(平成26年10月1日掲載)
※平成26年9月に奈良版でスタートした「まちの近代化遺産」を再録します。文中の年齢や肩書き等は掲載時のままです。
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(関西のニュースは産経WEST http://www.sankei.com/west/west.html)