【紀伊半島豪雨4年】10年後は大丈夫か、高齢者の避難に課題
県内で14人が死亡、10人が今も行方不明となっている紀伊半島豪雨災害から4年。最後まで避難生活が続いていた五條市大塔町辻堂地区の4世帯8人も、今年3月末に仮設住宅を退去、避難生活者がゼロとなって半年が経過した。被災地では住民らによる「自助」の取り組みも進んでおり、天川村では住民が自主防災組織を結成。独自の避難基準を設けているが、高齢化が進む中、「自助だけでは限界がある」との指摘もある。
7月の台風11号による大雨後、山の斜面に幅約220メートル、長さ約350メートルの地滑りが見つかり、27世帯58人に避難勧告、59世帯129人に避難準備情報が発令された天川村。紀伊半島豪雨では3カ所で深層崩壊が起き、1人が死亡、ピーク時には277世帯596人に避難指示が出された。
台風15号が接近した今年8月下旬。同村和田地区で役員を務める上西良継さん(66)は、区長とともに早めに避難所に指定されている区民ホールに向かった。避難者の受け入れ準備のための作業だ。
同地区では紀伊半島豪雨後、村に要望してホール沿いにある川へつながる坂道に、水位表示板を設置してもらった。地区では水位に応じた独自の避難基準も設定。危険と判断されれば、区長宅に設置したマイクで各家庭の受信機に直接避難を呼びかける仕組みも設けている。
結局、台風15号に伴う降雨は大したこともなく避難指示は出なかったが、夫婦1組が自主避難してきた。上西さんは「紀伊半島豪雨で被災するまで、村は安全だとみんな信じ切っていた。だが、今は『自分の身は自分で守る』という意識が根付いている」と話す。
豪雨災害の翌年には、自主防災組織を結成。若者を中心に「救助・救出班」や「情報班」など5班に分かれ、災害時には高齢者の安否確認のほか、避難の手助けを行う仕組みを他地区に先駆けて作り上げた。
村による防災情報マップ作りにも協力。「川の水が濁ったら逃げろ」といった地元の言い伝えも参考に、危険箇所を設定し、「区民ホール横の水位表示板を見る」「中和田地区の湧き水を見る」など、地区特有の注意事項も記載した。
災害への細やかな備えを尽くしてきたが、課題となっているのは村の高齢化だ。和田地区は比較的若い世代が多い方だが、それでも中心は60代で、30代といえば3、4人。広瀬や塩野地区などはほとんどが70代以上という。同村総務課の中尾裕耶主事は「誰も車を運転できず、避難もままならないという地区では、自助でできることはあまりない」と厳しい実情を語る。
上西さんは「今はまだ元気だからいい。だが、今後は10年後、20年後の自助のあり方も考えていかなければ」と話した。
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