【鹿角抄】屋久島で思い出した、戦中戦後を生きた女性の言葉
8月、鹿児島県の屋久島へトレッキングに行ってきた。念願だったので数カ月前から心待ちにしていたが、台風15号の影響で2泊3日の予定は1泊に変更。目当ての縄文杉を見られないまま、台風から逃げるようにして帰ってきた。
だが、初日に訪ねた白谷雲水峡の渓谷美で、心は十分満たされた。そこは映画「もののけ姫」の舞台のモデルにもなったという。
湧き水に浸されたコケは午後の日差しを受けてきらきらと輝き、地上には幾重にも伝う木の根が絨毯のように広がる。推定樹齢3千年の弥生杉は風格たっぷりで、岩と岩の間にできたくぼみは自然に形成された祠(ほこら)のようにも見え、思わず手を合わせたくなる神々しさがあった。
往復約3時間。物言わぬ木々や岩の合間を1人ひたすら歩く中、ふと思い出した言葉があった。戦後70年の夏に、戦時中の体験を聞かせてくれた五條市の西窪和子さん(86)の言葉だった。
西窪さんは鹿児島県川内市(現・薩摩川内市)生まれ。昭和17年に13歳で西日本鉄道(福岡市)に入社し、終戦まで路面電車の車掌として働いた。
取材後、西窪さんは床の間に飾っていた1つの石を渡してこう言った。「行き詰まってたまらんようになったときは、じっと石を見つめなさい。心が落ち着いて、自分で答えを見つけられるから」
兄、時男さんを戦争で亡くし、終戦後は故郷を離れて五條市に嫁いだ西窪さん。身体が弱かったという夫の分もと工場に勤め、畑仕事に汗を流した。不安や寂しさで心にさざ波が立ったとき、それを癒やしてくれたのは石や水、野に咲く草花だったという。「頑張らな。泣き面しとらんで」と聞こえたという「声」は、物言わぬ自然と対峙することで得られた、西窪さんが自分自身を励ます声だったのだろう。
その言葉を頭に留めながら、屋久島の森を黙々と歩いた時間。それは、木々や岩を通して自分と向き合う、この上なく豊饒な時間だった。(浜川太一)
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