【鹿角抄】敬虔なムスリムも「イスラム国」の被害者 パルミラの写真展で考える
先日、橿原考古学研究所(橿原市)で開催中の写真展「危機に瀕するパルミラ遺跡」(12月25日まで)を見てきた。
パルミラは、中東・シリアの砂漠地域で紀元前1世紀~紀元3世紀に最も栄えたシルクロードの隊商都市。遺跡は60以上の神々を祭った多くの神殿や、円形劇場、浴場などの施設で構成される。橿考研は平成2年から、現地のパルミラ博物館と共同で発掘調査を実施してきた。
だが、世界遺産にも登録されたこれらの遺跡群は今年8~9月、大量破壊の被害に遭った。今月13日にパリで同時多発テロ事件を起こした過激組織「イスラム国」による行為だった。
写真展はあまりにも悲惨な現状を伝えていた。遺跡の核であるベル神殿は爆破されて灰色の煙がもくもくと上がり、跡形もなくなっていた。恐怖や怒りがこみ上げ言葉にならなかったのと同時に、学生時代にアラビア語学科に在籍していたころに出会ったムスリムの友人たちの顔が、一人また一人と思い出された。
あるシリア人留学生は、アラビア語で「贈り物」を意味する「ヘバ」という美しい名の女性だった。日本の語学学校で教師に弾き語りで教えてもらったという中島みゆきさんの「世情」が「好きな日本の歌」といい、一緒に口ずさんだことを覚えている。
シリアの隣国、ヨルダンで滞在中に出会ったムハンマドという青年は、長いあごひげをたくわえ、外出中も1日5回の祈りを欠かさない敬虔なムスリム。当時、彼は大学で原子力工学を学んでいた。「資源の少ないヨルダンは将来、原子力技術が不可欠。いつか日本の大学院で学び国に貢献したい」と話す姿に深い感銘を受けた。育った場所や文化は違っても、さまざまな思いを共有でき、熱い向学心にこちらも気持ちを奮い立たせられる、尊敬すべき人たちだった。
パリのテロ事件以降、現地のムスリムへの風当たりは厳しさを増しているという。これほどの悲劇を前に、異文化への理解や寛容という言葉は、あまりに無力で空虚に映る。だが、大半のムスリムも、同じくイスラム国の被害者だったという事実を忘れることはできない。
写真展の開催趣旨には、日本人にパルミラ遺跡に関心を寄せてもらうことで「国際的な支援・協力へと結びつけ、シリア国民に平安が訪れることを願う」とあった。爆破前の、朝日に染まるベル神殿を写した1枚には深い哀愁が漂い、何かを物語っているようだった。この写真展が、ムスリムに思いをはせるきっかけになればと思った。
(浜川太一)
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