古代に大移動があった? 邪馬台国時代の関東の謎に迫る本出版
兵庫県立考古博物館名誉館長の石野博信さんや元愛知県埋蔵文化財センター副センター長の赤塚次郎さんらが、2~3世紀の関東地方の状況についてつづった「邪馬台国時代の関東」(290ページ、青垣出版)を刊行した。この時期、関東地方は開拓が進んでいない「フロンティア」で東海や近畿、北陸などから多くの人が移住したとされ、著書ではその実態に迫っている。
石野さんは当時の関東地方について、東海地方から進出した勢力(魏志倭人伝に登場する狗奴国の勢力)と、遅れて進出した近畿地方の勢力(邪馬台国の勢力=大和政権)が対立していたと推論。
そのことを示す事例として、静岡県東部の沼津市にある高尾山古墳(前方後方墳、3世紀前半)と神明塚古墳(前方後円墳、3世紀後半)を取り上げた。前方後方墳は東海地方によく見られる古墳の形で、前方後円墳は大和政権を象徴する墳形。「(同じ地域に2つのタイプの古墳があることは)方形墳と円形墳の東西対決を象徴する」とする。
一方、東海地域の考古事情に詳しい赤塚さんは、「邪馬台国が誕生したころの西暦200年前後にかなりの数の人たちが伊勢湾沿岸から東に移動したのは間違いないようだ」とし、その理由として洪水や寒冷化の気候変動をあげた。
またその大移動により、東日本各地に東海系の文化が拡散し、「弥生時代を終焉させ、新しい時代の扉を開けた」とし、その後狗奴国と邪馬台国の抗争勃発につながる2極対決の状況が生まれると解説している。
執筆者は2人を含め計7人。他の地域からもたらされた「外来土器」を通して当時の関東地方の様子を紹介した考察などもある。問い合わせは青垣出版(☎0744・34・3838)。
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