馬の骨や歯大量出土 大和政権の牧場か 御所市の南郷大東遺跡周辺
大和政権が馬を飼育した古代の牧場「牧(まき)」が、御所市の南郷大東(なんごうおおひがし)遺跡(5世紀)周辺に存在した可能性があることが、橿原考古学研究所の青柳泰介・調査第2係長(研究員)を中心とした研究グループの研究でわかり5日、発表した。
牧は、大阪府四條畷市の蔀屋北遺跡(5世紀)周辺の生駒山西麓や、長野県内などにあったと考えられているが、県内ではこれまで確認されていない。
南郷大東遺跡は葛城山の麓に位置し、5世紀の導水施設とともに、大量の馬の骨と歯が出土。研究グループがこれを詳しく調査したところ、少なくとも6頭の馬がいて、4歳以下の幼齢馬もいたことがわかった。
研究グループは「(6頭以上の)さらに多くの馬がいた」とみており、「若い馬が多く、人が餌を与えて飼育していた可能性が高い」としている。また、「生後5年以内に、奈良盆地や河内平野以外の遠隔地から連れてこられた馬もいた」という。
牧は日本書紀にも名前が登場。蔀屋北遺跡では馬の全身骨格や馬具などが見つかっており、周辺地域に大和政権が馬を飼育した牧があったと考えられている。
青柳係長は「5世紀ごろから馬の飼育が本格化すると考えられる。南郷大東遺跡周辺にも牧があり、馬を飼う集団・馬飼部(うまかいべ)が馬を飼育していた可能性がある」としている。
研究成果を紹介するパネルや出土品は17日まで、橿考研付属博物館ロビーで展示されている。
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