【リオ五輪】豪快、華麗な天理柔道みせた大野 苦難乗り越えた頂点
【リオデジャネイロ=天野健作】圧倒的な強さに、スタンドを埋めた観客は総立ちになった。「泥臭く執念深くやる姿を見せたい」。柔道男子73キロ級を制した大野将平はリオデジャネイロに出発する前、そう話していたが、むしろ華麗でかつ豪快な柔道に観客は魅了された。
「弟には『よく頑張った。ご苦労さん』と声を掛けてあげたい」。共に柔道を習った兄の哲也さん(26)はリオのスタンドで満面の笑みを浮かべた。
山口市で育った大野は、兄の影響で5歳から柔道を始める。「大きな人を投げ飛ばせるのが面白くて、柔道にはまった」。だが、小学生のときはすぐに泣く子だった。勝っても泣いた。大野が入団していた松美柔道スポーツ少年団長の植木清治さん(65)は「強くなりたいとよく言っていた。彼はなんといっても心がある。負けん気だ。とにかく攻める子で、チャンスを身につける癖を持っていた」と語る。
結果が出るようになったのは小学校高学年。それでも体は小さかった。他の子供たちと比べ頭一つ小さく、なによりも細かった。体重を増やすため1日4食にし、あえて太りやすい就寝前に食べた。
3年前の夏、主将を務めていた名門・天理大柔道部で、先輩から後輩への暴行事件が発覚する。そのころ、「柔道を辞めたい」とつぶやいたこともある。
停学処分を受け、山口の実家へ身を寄せた。天理大柔道部の数人とやってきて泊まった。一人になるのが怖かった。毎日、かつて通ったスポーツ団に来て子供に稽古を付け、「ここが僕の原点だ」とかみしめた。
騒動は乗り越えたが、頭には白髪が増えた。「感謝の気持ちを忘れたら、人生はおしまいだからね」。母親の文子さんはそう念を押した。
連覇を目指した2014年世界選手権の4回戦で一本負けしたとき、「母さん、世界で一番強いのは俺でしょ」と意地を張った。でも文子さんは「負けを認めないと強くなれないよ」とハッパをかけ、五輪に視線を向けさせた。
リオのスタンドには騒動の舞台となった天理大柔道部のOBも大勢駆け付けた。会社経営の脇谷政孝さん(54)は「天理柔道の神髄を見せたいと言っていた。いろんなつらいことがあったけど、必ず頂点を取ってくれると信じていた」と胸を張った。
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