戦時下で活躍した忘れられた詩人・池田克己に光 奈良大図書館で特別展
現吉野町に生まれ、日中戦争開戦後に兵士として中国に渡った詩人、池田克己(1912~53年)にスポットを当てた初の展示会が、奈良大学図書館(奈良市)で開かれている。池田は上海で日本語文学活動の中心的役割を果たし帰国後も活躍したが、40歳で亡くなった。木田隆文・同大准教授(日本近代文学)は「池田克己という詩人の存在、戦争と文学の複雑な関係性を知ってほしい」としている。
池田克己は20代前半で処女詩集を出版。詩誌「豚」も創刊し、若手詩人グループとして全国的に注目された。兵士として上海に渡ったが、現地で日本語文学活動を展開。上海文学研究会を結成し、「上海文学」を創刊して詩を発表した。当時は詩人の草野心平、高見順、小説家の武田泰淳らとも交流。だが戦時下のため日本の支配政策と関わらざるを得ず、活動は複雑な状況にあったという。
終戦後は、上京して出版社に入社。詩誌「日本未来派」を創刊し、詩集も刊行するなど活躍した。当時の「法隆寺土塀」と題した詩の最後ではこううたう。
《帽子にたまった雨水をはらい/靴底につもった泥土を雑草になすり/頬につたう雫をぬぐい/龍田川からの一本道/土砂降りしぶく一本道/とうとう私はかえってきた/私の中華民國十年の/雑多矢鱈のボロボロの/息せき切った一散の/昏昏迷迷の/びしょ濡れの/前に立つ荒壁/法隆寺土塀》
木田准教授は「作品を丁寧に見ると、戦時体制に関わったが迎合しているわけではない詩人の複雑な内面が見えてくる。『法隆寺土塀』は長い歴史をとらえつつ、自分の絶望感などがとけ合っている」と話す。
展示は「海の彼方の日本語文学 詩人・池田克己とその時代」として開催、詩集や詩誌、文芸誌など約40点が並ぶ。戦時下の上海周辺で発行された資料の多くは「負の遺産」として処分されたというが、武漢の日本人居留民によって作られた文芸誌などが新たに見つかったといい、忘れられた日本語文化を掘り起こす可能性を持つ貴重な資料という。
26日まで。9~10日、20~21日は休館。問い合わせは同館(☎0742・41・9507)。
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