「猿楽は秦氏が始祖」 千田・図書情報館長が新説 ゆかりの地が四座に重なる
聖徳太子が秦河勝(はたのかわかつ)に命じて六十六番の芸能をつくらせた-。室町時代に能(猿楽(さるがく))を大成した猿楽師、世阿弥が著書「風姿花伝」にこう記す能の由来が、奈良盆地中南部の寺川流域の地理、政治的背景から現実性を帯びてくるとする説を千田稔・県立図書情報館長(歴史地理学)が明らかにした。古代に朝鮮半島から渡来したという秦氏、蘇我氏、太子ゆかりの地と、後の大和猿楽四座の発祥地がほぼ重なるとみている。
能は中国から伝来した大衆芸能的な散楽などがルーツとされるが、室町時代に活躍した世阿弥以前のことはよく分かっていない。「風姿花伝」冒頭に「推古天皇の治世に聖徳太子が秦河勝に命じて六十六番の芸能をつくって、これを『申楽』(猿楽)と名づけたのが始まり」と記されているが、伝説とみられている。
千田氏は県立図書情報館で開かれた公開講座で、桜井市の多武峰付近から田原本、三宅、川西各町を経て大和川へと流れる寺川流域から新たな文化が生まれたとする「寺川文化論」を展開。桜井市の寺川沿いにある上之宮遺跡が太子が幼年期を過ごしたという「上宮」と指摘し、太子を支援した秦氏と、欽明天皇妃で蘇我氏傍流という小姉君のゆかりの地も寺川沿いであるとした。
そのうえで、後の大和猿楽四座の外山座(宝生流)、結崎座(観世流)、円満井座(竹田座、金春流)の発祥、ゆかりの地(それぞれ桜井市、川西町、田原本町)も、寺川流域付近と説明。太子創建の法隆寺がある斑鳩町発祥という坂戸座(金剛流)にも触れ、「寺川筋を治め、太子を支援した秦氏にのっかかって能は発展したのではないか。世阿弥が言っていることはそうそう嘘ではない」と指摘した。
さらに、「人々がしんどかったからこそ芸能は生まれた。芸能と政治が寄り添いながら、歴史ができた」と語った。
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