【鹿角抄】日本一の規模だった 藤原宮の創建当時に思いはせる
新大宮(奈良市)に住んでいたころ、平城宮跡によくジョギングに行った。大極殿や朱雀門はまだ復元されておらず、宮跡内の道を自由に走り回り、疲れると芝生で寝転んでいた。本当に広大で、心地よい開放感にひたっていた。
その後引っ越したので、最近はたまに車でそばを通りすぎるぐらい。復元された立派な大極殿や朱雀門を見にいくことはほとんどなかった。
ところが昨年夏、橿原市の藤原宮跡で大極殿基壇に取り付く階段跡が見つかったことから、平城宮跡の大極殿のことをちょっと考えるようになった。
藤原宮につくられたわが国初の大極殿は710年の遷都で平城宮に移され、さらに740年の遷都で恭仁宮に移築される。5年後、都は再び奈良にもどるが、この時大極殿は移されず、平城宮には新たな大極殿(第2次)がつくられる。
藤原宮跡の発掘調査で見つかった階段跡は階段の最も下の部分で、薄くわずかに残るだけ。遷都の際、基壇の階段も含めて石材ごと平城にそっくり移されたことがわかる。その大極殿は今、第1次大極殿として平城宮跡にそびえ立つ。「当時の姿をそのまま写す」というわけにはいかないようだが、あのような巨大な建物が藤原宮跡にもかつてあったということだ。
当時日本一の規模を誇った、高さ数十メートルの豪壮な建造物。木が生い茂る今の大極殿跡(大宮土壇)から連想することはむずかしいものの、奈文研の調査研究によって藤原宮基壇の規模(東西52メートル、南北27メートル)が突き止められ、当時のイメージがより描きやすくなった。
藤原宮跡は県や橿原市が世界遺産登録をめざす「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の重要な構成文化財。最近、取材で藤原宮跡周辺を頻繁に通っているので、遠い将来、平城宮跡の大極殿のような建物が藤原宮跡にも復元されることがあるのか?大宮土壇と平城宮跡の大極殿を重ね合わせながら、想像を膨らませる機会が多くなっている。(野崎貴宮)
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