興福寺の東西僧坊 部屋に差 礎石や基壇外装出土
興福寺(奈良市)の境内で、僧侶の住まい「中室」(東僧坊)の奈良時代の創建当初とみられる基壇の一部が出土し18日、同寺と奈良文化財研究所が発表した。これまでに中金堂、講堂跡の西側から出土している「西室」(西僧坊)とほぼ同規模だったが柱配置は異なり、「房」と呼ばれる各部屋がやや小さかった。
興福寺には中枢部である中金堂、講堂をコの字に囲む三面僧坊があったとされる。中室は建立以後7回ほど火災に遭い、6回再建されたとされる。
中室は南北に長い建物で今回は北端と南端を調査。地覆石、羽目石といった基壇外装や、創建当初から動かされた形跡のない礎石などを確認した。
基壇の規模は南北約66・7メートル。建物規模は西室とほぼ同じ南北約62・8メートル、東西約12・4メートルとみられるが、南北柱間は西室より狭い5・6~5・9メートル。8人ほどの僧が暮らしたという各房は西室よりやや小さく、一房多かった。
中室近くでは経を収蔵する経蔵の礎石などが見つかり、多くが当初の位置のままであることを確認。経蔵北側では、東西に走る石組溝や玉石敷も出土した。玉石敷は僧坊と講堂などを結ぶ通路の可能性があるという。
鈴木嘉吉・元奈良国立文化財研究所長(建築史)は「同じと思っていたが、西室と中室は長さは同じでありながら柱配置が違った。住んでいた人の階級が違うのでは」としている。
現地見学会は20日午前11~午後3時。説明は午前11時半と午後1時の2回行われる予定。小雨決行。
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