国際級ホテル計画地で平城京貴族の巨大邸宅跡見つかる 20日現地説明会
県が国際級のホテル建設計画を進めている奈良市役所南側の奈良署跡地(平城京跡)で、大型建物跡を伴う奈良時代後半(8世紀後半)の広さ約1万4千平方メートルと推定される邸宅跡が見つかり2日、橿原考古学研究所が発表した。天皇の住居である内裏があった平城宮跡の南東約600メートルという〝一等地〟で、橿考研は貴族や高級官僚の邸宅跡とみている。
約8千平方メートルを発掘調査した結果、奈良時代後半の建物跡計37棟分や井戸跡10基などが見つかった。
邸宅内は南北約57メートルにわたって柵で2つに区画され、東側で中心施設とみられる東西18・9メートル以上、南北6・3メートルの大型建物跡が出土。西側でもひさしを持つ東西8・3メートル、南北14・2メートルの建物跡が見つかった。三彩(さんさい)瓦の破片も約30点確認され、三彩瓦ぶきの建物があった可能性もある。六角形の井戸跡も見つかった。
平城京は東西南北の道路で街を碁盤の目状に区画する条坊(じょうぼう)制を採用しており、現場は「左京3条2坊14坪」に当たる。西側に奈良時代の権力者・長屋王の邸宅跡があり、北側の奈良市役所建設に伴う調査では1坪(約1万4千平方メートル)全体を使った邸宅跡が見つかっていることなどから、橿考研は今回の邸宅跡も1坪の広さを持つとみている。
菅谷文則・橿考研所長(考古学)は「平城京では宮に近い左京の北半分に貴族が住んでいたと考えられる。貴族や高級官僚の邸宅跡とみていいだろう」としている。
現地説明会は20日午前10時~午後3時。問い合わせは橿考研(☎0744・24・1101)。
【関連記事】
イラスト御朱印も ぼさつの寺めぐりで般若寺、福智院、不空院、白毫寺
(関西のニュースは産経WEST http://www.sankei.com/west/west.html)