【鹿角抄】初期ヤマト政権の大王墓を実感 渋谷向山古墳発掘見学会
宮内庁が第12代景行天皇陵に指定する渋谷向山古墳(天理市、全長約300メートル)で先月4日行われた同庁書陵部による発掘現場見学会に参加した。4世紀後半の築造とされる巨大前方後円墳。古墳の西側を通る国道はよく利用するが、古墳の中に入ったのは初めてで、墳丘を間近に見ながら、改めて「大王墓」であることを実感した。
古墳は前方部を西に向けてつくられている。書陵部による調査は墳丘整備の一環で、後円部裾の調査地では、埴輪や葺石がセットで出土していた。その場所から上を見上げると、木々に覆われる中、墳頂部付近をうかがうことができた。論評抜きに淡々と遺構の説明を行う調査担当者の話を聞きながら、「やっぱりでかい。4段築成ぐらいかなあ」と、その規模を実感した。
景行天皇は実在した天皇と考えられ、日本書紀には宮(宮殿)は「纒向日代宮」と記されている。初期ヤマト政権の首都である纒向遺跡(桜井市)は渋谷向山古墳の南に広がり、遺跡内には纒向日代宮の伝承地がある。
そうした中、注目されるのは纒向遺跡で4世紀後半とみられる大規模な溝跡が見つかっていること。これは首長居館を囲んだ溝跡(堀跡)とみられ、纒向日代宮に関連するような初期ヤマト政権の大王の宮殿遺構の可能性が浮上している。
日本書紀によれば、景行天皇の時代には天皇の命を受けた日本武尊が熊襲を討つなど日本統一が進められた。そうした時代の様相も、纒向に都があった4世紀という初期ヤマト政権の時代の様相と一致するとみられる。
渋谷向山古墳は、卑弥呼の墓といわれる箸墓古墳(3世紀、全長約280メートル)を上回り、前期古墳としては全国最大で、大王墓にふさわしい。景行天皇の墓とは証明されていないものの、纒向遺跡に宮殿を構え、初期ヤマト政権の国づくりを進めた「大王(天皇)の1人」の墓であることは間違いなさそうだ。(野崎貴宮)
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