【紀伊半島豪雨5年】「野迫川村に人呼びたい」 民宿経営の夫妻、食堂で再起
平成23年9月の紀伊半島豪雨で、30年近く経営していた民宿を取り壊さざるをえなかった夫妻が今秋、野迫川村で新たに食堂を開く。きっかけは、県外から寄せられた励ましの手紙。高齢化と過疎化が急速に進む村の現状は厳しいが、別所久男さん(69)と妻の節子さん(69)は「野迫川のおいしい料理を知ってもらい、全国から村に人を呼び込みたい」と意気込んでいる。
民宿「別所」は、ともに野迫川村役場に勤めていた夫妻が昭和55年ごろ、村役場から南に約2キロの北股川沿いの集落にオープンした。6畳3部屋と4畳半2部屋の小さな民宿だったが、釣りや登山など野迫川の自然を堪能する客を温かくもてなし続けた。
しかし、5年前の9月4日を境に、なにもかもが一変した。
豪雨により、民宿と向かいの自宅は床上浸水の被害に。夫妻も近くの山村振興センターでの避難生活を余儀なくされた。「もう民宿の再開は無理かもしれない」。夫妻の中にあきらめの気持ちが広がった。
だが、2人を再び奮い立たせたのが、避難生活を始めて1カ月がたった23年10月ごろ、避難先の節子さんに宛てて届いた和歌山市在住の70代の女性からの手紙だ。避難生活を伝える新聞記事を読んだというその女性の手紙には、「私も(かつて)水害を経験しましたので、ひとごととは思えません」など気遣う言葉がつづられ、「避難している人に」とみかんや梅干しも添えられていた。
見ず知らずの人からの温かい励ましの言葉に、「元気をもらった」という節子さんは、「この人をいつか村に招きたい」と決意。予算や体力面を考慮して、民宿ではなく食堂を再建することにした。久男さんも「村への最後の奉仕のつもりで頑張りたい」と賛成した。
避難生活から約2年8カ月の仮設住宅生活を経て、夫妻は現在、復興住宅に暮らす。民宿は26年秋に自宅とともに取り壊したため、食堂は村役場から北へ約500メートルのところに新たに建設中だ。
野迫川村産の木材を使った温かみのある木造平屋建てで、4人がけのテーブル席3つに宴会用の6畳の座敷、カウンター6席を備える予定。名前は「いなか食堂別所」に決めた。
「お客さんには野迫川のおいしいものをいっぱい食べてほしい」と節子さん。畑で採れた新鮮な野菜、自家製のこんにゃく刺し身にぬか漬け、山菜の天ぷら、アマゴの甘露煮…。秋には山で採れるマツタケをつかったまつたけご飯も。節子さんが腕をふるい、地元の食材をふんだんに使った料理を提供するつもりだ。
「うちの食堂があるから野迫川村に来たいと思わせるようなお店にしたい」。豪雨から5年。野迫川村を愛する気持ちを糧に、夫妻は新たな再スタートを切る。
「いなか食堂別所」は9月下旬にオープン予定。問い合わせは別所さん(☎0747・37・2604)。
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