【鹿角抄】8歳で命終えた男児に教わった「生きる豊かさ」とは
「生きる」ことは、長さだけではかるものではない―。3歳で急性リンパ性白血病を患い今年1月、8歳で亡くなった平尾吏覇君から教わったことだ。取材を通じて出会ったのは、一昨年の春。会うたびに、なぜか心を見透かされているような思いがした。
吏覇君の両親は、幼いわが子に病名を告げるか悩んだ末、伝えることを選んだ。幼いころから死生観を教えられた吏覇君は人一倍、生きる〝質〟を大切にしているように見えた。
いつも入院に付き添った母親のことを、絶えず思いやっていた。小児科医になる夢を持ち、「いつか楽をさせる」と母親に約束。病室で懸命に勉強していた。家族と過ごせる時間を大切にし、一日一日をかみしめるように過ごしていた。
つらい治療を受けても完治しない病で手術や入退院を繰り返す中、両親は治療を続けるか止めるかの選択に日々、葛藤していた。そして、一昨年3月に受けた移植手術を「最後の治療」とし、家族でともに過ごすことを選んだ。
その年の夏。一時退院し、三重県名張市の自宅で家族と過ごしていた吏覇君を訪ねると、病院で見たことのない弾けるような笑顔。治療をやめた不安ではなく、家族と過ごせる幸せと安心感に包まれているようだった。
順調に回復しているように見えたが、小さな体は病にむしばまれていた。昨年の暮れ、「年を越すことはできないかもしれない」と聞かされた。休日に自宅を訪ねると、母親は明るく出迎えてくれた。
リビングに置かれたベッドに横になっていた吏覇君は、「ありがとう」と小さな声を振り絞って迎えてくれた。帰り際には、布団から小さな手を伸ばしてくれた。
医療が高度化しても、助からない幼い命もある。理不尽で無念で、自分の無力さを痛感する。だが、吏覇君に教わったのは、8年間という生涯は決して〝わずか〟ではないということだ。吏覇君をはじめ、難病で幼くして亡くなった子供たちはみな、それぞれの生涯を確かに濃密に生きていた。
母親はわが子の闘病生活を、ブログにつづってきた。同じような立場の人を勇気づけたり、日々を記録に残したいと考えていたからだ。今は、ブログをどう終えようかと悩んでいるという。
どのような選択になっても、吏覇君が生きた足跡は確かに刻まれた。その豊かさと強さを、忘れずに生きていきたいと思う。(山﨑成葉)
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