【鹿角抄】便利さは豊かさと同じだと思いますか?
「便利さと引き換えに得られるのは結局、今以上の忙しさではないか」―。先日、奈良県版の連載企画「奈良 移住物語」の取材で話を聞いた宇陀市榛原沢地区在住の編集者兼ライター、赤司研介さん(36)の言葉に、多くのことを考えさせられた。
赤司さんは5年前の東日本大震災を機に、神奈川県藤沢市から一家で移住。子供たちの世代に「健やかな未来」を残そうと、現在は「SlowCulture(スローカルチャー)」の屋号で、持続可能な暮らしや環境保全の大切さを日々、発信している。

「生き物の存在を身近に感じられる環境がいい」と、手がけたフリーペーパーを手に話す赤司研介さん
「田舎暮らしは不便ではないか」と尋ねると、赤司さんは「確かに不便もあるが、嫌いではない」と答え、反対に便利さの弊害を指摘した。「便利になって節約できた時間は結局、仕事に使ってしまう。その結果、ますます忙しくなる」
なるほど、その通りだと思った。次々と便利な道具や機械ができ、情報があふれる現代、人間の生活は確かに豊かで便利になった。だが、「何のための便利さか」という問いを持っていなければ、赤司さんが言うような〝落とし穴〟に自らはまる可能性がある。
車で県内各地へ取材に赴く記者は日々、カーナビゲーションの恩恵にあずかっているが、時折、思いもしない小路やあぜ道に案内され、戻るに戻れず右往左往することも。自分の頭で考えればこんな道を通るはずはないと分かるのに、音声案内のままにつき進んでしまう。機械に任せきりで、思考停止に陥っている証拠だ。
著書『14歳からの哲学』などで知られる文筆家、池田晶子さんの文章に、こんな一節があった。「便利さが価値になるほど、人間の価値は薄まる」(『死とは何か さて死んだのは誰なのか』毎日新聞社刊)。
そう遠くない未来、リニア中央新幹線が走り、ロボットや人工知能(AI)の存在が日常になる。「何のための便利さか」という問いを発することは、今後、ますます重要になってくるのではないかと感じている。(浜川太一)
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