【私の働き方】「楽観的思考」で家庭と両立 弁理士 松山徳子さん
あきらめずに何度も難関試験に挑戦し、44歳で弁理士となった松山徳子さん(54)。奈良市内の自宅で特許事務所を開業し、家庭との両立を図りながら日々奮闘している。「弁理士は会社の未来を助ける仕事」と生き生きと語る松山さん。実直な人柄や丁寧な仕事ぶりで、顧客からの信頼も厚い。「いくつになっても勉強を続けないとだめ」。知的財産のスペシャリストとして常に「その先」を見据えている。
■あきらめず挑戦
父親が弁理士で、生駒市内で特許事務所を経営していたことから、幼いころから弁理士の仕事に親しみを持っていた。ただ、自身は「英語と貿易に興味があった」ため、大学の英文科を卒業後は、服の輸入専門商社の海外事業部に勤務。だが、「ずっと働ける仕事をしたい」と思うようになり、27歳で退社。父の事務所を手伝いながら、弁理士の資格取得を目指すようになった。
最初は「取れたらいいな、と思うぐらい」だったというが、勉強するうちにのめり込むように。35歳で結婚、37歳で長女、39歳で長男を出産したが、妊娠・育児期間中も、1年に1回弁理士の試験を受け続けた。
妊娠中に受けた試験では、終了後に「切迫早産の可能性がある」といわれ、3カ月間入院したことも。出産後に受けた試験のときは、試験合間の休み時間にトイレに行って搾乳した。「赤ちゃんにおっぱいをあげながら勉強していた。胎教は特許法条文だったのかな」。今は笑顔で振り返る。
こつこつ続けた努力が実り、晴れて合格。弁理士登録したのは平成17年で、19年に自宅を事務所として開業した。「あまり煮詰まったことはなかったけど、途中でやめなくてよかった。試験は年中行事みたいになっていたけど」と笑う。
■自分のペースで
試験勉強中や、弁理士として働き始めてからも、夫(57)の協力を得て家事や子育てに奮闘した。保育所や学童保育に預けた子供を夕方に迎えにいくと、家では寝かしつけまで一緒に過ごし、その後、自分の勉強や仕事に取り組んでいた。
子供との時間は決して長くはなかったが、「一緒にいるときに濃密にかかわっていた」と振り返る。生き生きと働く松山さんの姿を見て、長女は今では「自分も経営者になって働きたい」と話すようになった。
家事でもメリハリを重視。自分のペースで段取りを考えながら、掃除や料理をこなす。「気持ちを切り替えながら1つ1つに取り組むのが楽しい。気分転換になっている」という。
とはいえ、最も大切なのは「楽観的な思考」と断言する。「あまり深く考えないほうがよい。長く続けるためにはがんばりすぎないこと。あせらずに細く長く続けるコントロール力が必要。体が資本だから」。
■未来を助ける仕事
子供が成長した今は、日本弁理士会近畿支部での委員会活動にも力を入れている。小中学校へ出向き、知的財産権に関する授業やセミナーで講師も務め、ますます充実した時間を過ごしている。
新しいものを作り出している会社の話を聞くのは楽しく、弁理士の仕事の醍醐味ともいえる。「すごいですね。すばらしいですね、ってこちらも前向きになれる。弁理士は会社が未来に行くのを助ける仕事と思っている」。これからも自分のペースで細く長くキャリアを築いていくつもりだ。(有川真理)
【プロフィル】 松山徳子(まつやま・のりこ)さん。 昭和36年大阪府東大阪市生まれ。小学1年のときに奈良市に引っ越した。夫と長女、長男の4人家族。弁理士として特許・意匠・商標に関する特許庁への出願手続きの代理などを行う。最近は日本弁理士会近畿支部の活動も行い、知的財産権をテーマにしたセミナー講師としても活躍。同市内の自宅で「アバンセ特許事務所」(☎0742・37・3311)を開いている。
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