【まちの近代化遺産】往時しのぶ堂々の建築 旧吉野銀行高田支店
大和高田市の中心地域、歴史的な建物が残る「高田寺内町」を南北に貫く本町商店街の中にある電器店「モリモトデンキ」。カラフルな看板とショーウインドーを備えた、身近な「まちの電器屋さん」だが、実は建築家や地域の歴史を研究している人たちにはよく知られた建物なのだ。
見上げると、2階部分にはアーチ状の窓が左右に開き、茶色のタイル張りの壁には半円形の窓台が。昭和8年にここへ建てられた「吉野銀行高田支店」の建物が、店舗兼住宅として使われている。
「モリモトデンキ」代表の森本博さん(56)によると約38年前、父の故・政弘さんが、閉店後放置されていた建物を購入。住居兼店舗にするため改装した。「コンクリートがぶ厚くて、改装工事は大変だったそうです」といい、「2階を住居にするために天井を吊り、床を作っているが、天井の高いホールなどの構造は当初のままです」と話す。
とりわけ目を引くのは、緩やかなアールのついた回り階段。手すり部分は石造りの堂々とした造りだ。どっしりした木造の物入れの扉や、背面に造られた鉄の雨戸なども銀行時代のままで、往時の様子をしのばせる。
設計は明治26年に下市町で生まれた奈良の近代建築を代表する建築家、岩崎平太郎氏。それが分かったのは12年前、大和高田市の建築家、上嶋晴久さん(59)が岩崎氏の実績について調べるため、家族を訪ねたときのことだ。
見せてもらった資料の中に、自身が暮らす街中に建つ「モリモトデンキ」の2階部分によく似た写真があった。気になった上嶋さんは写真を借り、現地でモリモトデンキと見比べて、岩崎氏設計の旧吉野銀行高田支店の建物だと分かったのだという。
「建物の基礎はしっかり造られており、今も構造体はすべて残っている」と上嶋さん。現在、日本建築家協会奈良地域会などで詳しい調査を進めているといい、「貴重な建物なので、受け継いでいってほしい」と期待を込めた。
「モリモトデンキ」の森本さんは、建物を当初の姿に復元することも考えているといい、「何かの縁があってこの建物に住み、商売をしてきたので、守りたい。残すために役立てればと思う」と話した。(山本岳夫)
■ひと口メモ 「高田寺内町」は慶長5(1600)年に建立された専立寺を中心に形成され、江戸時代には商工の町として発展、商工都市の母体となった。東西220~280メートル、南北約570メートルとも推定されている町内には、繁栄期には銀行が3つあったという。
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