【まちの近代化遺産】志賀直哉や小林秀雄も訪れた 料理旅館「江戸三」
奈良市の奈良公園内に点在する10棟の「離れ」からなる料理旅館「江戸三」。明治40年創業の老舗には多くの文人墨客が訪れ、長期逗留する人も少なくなかった。コテージ式の料理屋では、「部屋に入ると時間の流れが違うように感じる」という静けさ漂う空間が、いまも変わらず保たれている。
春日大社の参道が目の前に通る、緑で囲まれた奈良公園内に、ぽつぽつと建つ離れ。すぐそばをシカや観光客らが散歩している。
明治40年、初代の大和康治郎氏が料亭として創業。徐々に増やし、10棟の離れがつくられた。当時客室に電話はなく、軒先に掛けられた楽器を鳴らして客室係を呼んでいた。この手法は大正時代まで続き、それぞれの客室には、「太鼓」や「銅鑼」など、楽器名が付けられている。
「江戸三」社長で4代目の大和隆さん(48)は「当時は車もなく、人力車が足代わりだったので、それで十分だったのでしょう」と話す。戦後は「観光県として、奈良公園でふさわしい様式にすべきだ」などの声もあり、周辺の料亭とともに宿泊を兼ねた料理旅館となった。
客室は、6畳ひと間と玄関からなる2人用から20畳ほどある6人用までさまざま。食事のみに使用している宴会場「八方亭」は26畳と広々としており、四方が直径約1・6メートルの丸窓で囲まれている。両角には「月見台」もある。
客室ごとに造りは異なり、随所にこだわりがちりばめられている。「八方亭」の屋根はもともとこけら葺きで、玄関はスギ材の網代天井。2人用の「太鼓の部屋」は茶室の造りで、ヒノキ材の網代天井に。6人用の「中央亭」はもともとはビアホールで、後に壁をつけて客室とした。奈良のなだらかな山をかたどった桐の欄間は桐の木目を均等にそろえ、禅宗の火灯窓を模した窓枠には竹を使用。窓の外に見える豊かな自然と調和している。
文人墨客の一人、志賀直哉は日記にも「…を誘ひ、夜江戸三に行く」などと記しており、たびたび食事などに訪れていた。「下宿」専用の部屋「縁由」もあり、昭和3年に志賀を頼って奈良に訪れた小林秀雄は約8カ月間、この部屋に滞在して執筆などを行っていたとされる。
当時、小林は文壇デビュー前。生活費を稼ぐため志賀の息子の家庭教師をするなどしたが、宿泊費の不足分は志賀が面倒をみたという。小林が滞在した4畳半の小さな部屋には、多いときで4人ほどが使用。小林と入れ違いに、尾崎一雄も訪れている。
志賀は〝下宿人〟らの世話をしばしばしており、店に依頼して会席料理の端材で食事を用意させたことも。そうして誕生したのが名物の「若草鍋」。「盛りつけた様子が若草山のよう」と、志賀が命名したという。
商品化した昭和初期には、伊勢エビや京都の湯葉、三重のかまぼこなど、各地から取り寄せた食材がふんだんに使われた。鍋は昭和天皇にも献上され、仏版のファッション雑誌に三宅一生が紹介。国内外から好評を博した。
奈良市内からも宿泊客が訪れるという江戸三。建物の維持は容易ではないが、大和さんは「できるだけもともとの形を残していきたい」とする。早起きすれば〝貸し切り状態〟で奈良公園を満喫できるのも魅力の一つ。大和さんは「ゆったり過ごす奈良の雰囲気も味わってほしい」と話した。(山﨑成葉)
■ひとくちメモ 名物料理「若草鍋」(8千円~)は10~3月の期間限定。食事のみでの利用が可能な部屋もあり、会席料理は8千円~。宿泊は平日で1人1泊1万8千円~(2食付)。近鉄奈良駅から南東に徒歩15分。問い合わせは、江戸三(☎0742・26・2662)。ホームページはhttp://www.edosan.jp/
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