奈良伊賀地域で産経新聞の購読試読・求人案内。

産経新聞 奈良県伊賀地区専売会産経新聞 奈良県伊賀地区専売会

産経新聞グループ各紙のご購読はこちら 0742-24-2214

専売会について専売会について各専売店の紹介各専売店の紹介地域貢献地域貢献求人内容求人内容購読・試読サービス購読・試読サービス

sanbai-02.jpg

【奈良県立美術館特別展 没後40年 幻の画家 不染鉄⑧】 《仙人掌》埋もれていた作品…急遽出品が決まった代表作の一つ

 昭和8(1933)年 第14回帝展出品作 個人蔵 

昭和8(1933)年 第14回帝展出品作 個人蔵

展覧会の開催をきっかけに埋もれていた作品が発見され、新事実が判明することも多い。本作も奈良での展覧会の開幕直前に奈良県内の民家で発見され、急遽出品が決まった代表作の一つ。
制作前年の昭和7(1932)年、不染は東京と千葉の境に位置する今井という町に移り住んだ。江戸川が流れるこの町は、田畑の間にまばらに家が建ち、夕方にはシラサギが飛ぶようなところだったという。
この頃、仙人掌(サボテン科の多肉植物)の収集に熱を上げており、市場を歩き回っては買い求め、庭に温室を作って大切に育てていた。寒い冬の夜や日差しの強い夏の日は覆いをかぶせてやり、この作品を描く間も朝夕水をやったり夕立の時は大急ぎでガラス戸を閉めたりしていたという。
季節とともに青々と大きくなり、赤いとげや白い毛が芽吹くサボテンを、絵の具を盛り上げるなどしながら質感や量感まで表現している。子細に描き込まれた庭の様子とは対照的に二階建ての家屋は線描や色面を用いて簡潔に描かれている。画面を大きく占めるその描写からは一国一城の主となったような誇らしげな様子も想像される。
伊豆大島での漁師生活や奈良の田舎暮らしとは打って変わった近代的な生活ぶりがうかがえる。また、一方では、パステル調の柔らかな色彩や簡素な画面構成など、この時代に特有の表現も見て取れ、遺品が少ない昭和戦前期の作風をうかがい知ることのできる貴重な作品である。   (奈良県立美術館学芸課 松川綾子)

【奈良県立美術館特別展 没後40年 幻の画家 不染鉄⑦】 《薬師寺東塔之図》、あたかも信仰の地・奈良を守護するかのよう

昭和21(1946)年、不染は奈良県正強中学校(現在の奈良大学付属高校)の理事長兼校長に雇われ、奈良へと住まいを移す。新天地で職を得た不染は《南都五大寺》と題した作品の中で、当時の心境を次のように書き残している。
「終戦一年になります。悪い夢のような戦が終わりました。今年は不思議な大豊作です。お米は安いに及ばず柿もお芋もかつてない豊作です。奈良は戦災をまぬがれ千年のお堂も、天平の宝塔も何事もありません。今秋11月21日から正倉院宝物が一般に公開されます。憲法が11月3日に発布になります。何もかも再建です。今度私は画かきで初めて中学校の校長に就任致しました。美術を重く考える中学にしたいと思います」
文章からは、新しい時代の幕開けを喜ぶ清新な気分とともに、再び訪れた平和な時代への感謝の思いが感じ取られる。
この頃からしきりに描き始めた奈良の景色は、戦前に手がけたのどかな農村風景とは異なり、画面は奈良の寺院建築によって整然と構成されている。
本作では、記号のように抽象化されてぎっしりと描き込まれた秋の収穫風景を背景にして、写実的に表現された薬師寺東塔が画面中央に大きく配置されている。その堂々たる姿は、あたかも信仰の地・奈良を守護するかのように荘厳な光で包まれている。   (奈良県立美術館学芸課 松川綾子)

 昭和40年代頃 源覺寺蔵 

昭和40年代頃 源覺寺蔵

【奈良県立美術館特別展 没後40年 幻の画家 不染鉄⑥】 「芸術とは心を映す鏡である」 真摯に向き合った生涯たどる

晩年の不染鉄

晩年の不染鉄

奈良県立美術館に先行して開かれた東京ステーションギャラリーでの「不染鉄展」では、「なぜこれほどの画力と表現力を持った画家が埋もれたままだったのか」と驚嘆の声が上がった。不染鉄とはどのような人物で、なぜ評価が遅れたのか。改めて不染鉄の生涯をたどる。
明治24(1891)年、東京・小石川で生まれた。父親は僧侶だったが、当時、妻帯を認められなかったこともあり、いささか複雑な境遇の中で育てられたようである。成長し、宗門の中学に入学するも素行の悪さから放校となるなど地元では名の知れた不良少年だった。
中学を卒業すると父親の跡を継がず、気ままに暮らせるとの理由から絵描きの道を選び、日本画家・山田敬中の門下生となる。この間の詳細はいまだ不明。だが、両親を亡くして覚悟を決め、23歳の時に日本美術院の研究会員となり本格的に絵の勉強を始めた。しかし、一人暮らしからくる寂しさや将来への不安などで次第に自信を失い、この頃知り合った妻とともに現実から逃れるように伊豆大島へと渡った。温暖な気候風土とあんこ椿で知られる独特の風俗から画家たちの逗留地としても知られた大島。結局3年もの間、漁師のまねごとをしながら同地に滞在することとなった。
しかし、絵描きへの思いは募るばかりだったのか、思い立って京都へ移り、大正7(1918)年、京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)に入学。成績優秀で特待生に選ばれて首席で卒業。在学中には帝国美術院展覧会(帝展)で初入選を果たし、以後9回にわたり入選を重ねるなど画壇に認められる。
一方、日本画家の上村松篁(しょうこう)との交流が知られるように、年若い友人とスケッチに出かけたり演劇に興じたりと一時の青春時代を送った。
昭和2(1927)年頃に奈良・西ノ京に住まいを移し、《思出之記》(個人蔵)などの帝展出品作を制作。画家として充実した日々を送る。2年あまりと短い期間ではあったが薬師寺や唐招提寺といった古刹が点在し、秋篠川から赤膚山へと農村地帯が広がる鄙びた佇まいに心惹かれ、何度となくその風景を絵にしたためている。また、この頃に僧籍も取得したようである。しかし、いつしかこの地も後にし、昭和7(1932)年には東京・江戸川の地に住まいを移している。
生涯住まいを転々としたが、戦前・戦時中の東京でも理解ある人の助けを借りて生活していたようだ。一方の創作活動はといえば、帝展から新文展へと組織が移行した昭和10年代頃から徐々に画壇と疎遠になり、絵描きもままならない時代へと突入する。この間も作画は続けていたが、戦災で失われた作品も少なくはないようだ。

京都市立絵画専門学校時代。右下が不染、中段が上村

京都市立絵画専門学校時代。右下が不染、中段が上村

昭和21(1946)年、戦前に図画の教師を務めたことのある奈良県正強中学校(現在の奈良大学付属高校)の理事長兼校長に雇われ、後半生を奈良で過ごすことになった。教育者としての理想に燃えるものの、戦後の混乱の中での学校経営は容易ではなく、昭和27(1952)年、志半ばで職を退く。その後は一時政治にも関心を向け、政治家への転身も考えるがこれも果たせず。昭和33(1958)年には長年連れ添った妻を亡くしている。
天涯孤独となったが昭和30年代後半頃からは奈良公園近くの屋敷の隅にあばら屋を立ててもらって生活を始めた。この住まい兼アトリエには作品や人柄を慕う人々が集うようになり、晩年はこうした人々との温かな交流を育みながら、穏やかな日々を送った。絵画への思いは衰えぬまま、昭和51(1976)年、直腸がんのため84年の生涯を終えた。
時代の荒波に抗うこともなければ流されることもなく、ただ自らの思うまま自由に生きた。中央画壇から離れ、時には野心も見せた奈良での後半生は芸術家としての評価の妨げになったかもしれない。しかし、「芸術とは心を映す鏡である」と親しい人に宛てた絵葉書に書き綴ったように、芸術と真摯に向き合い続けた真の画家であったことは残された作品が何よりも雄弁に物語っている。   (奈良県立美術館学芸課 松川綾子)

【第26回 豊祝会】 薬師寺の山田法胤長老が講演  パーティーでは750人が舌鼓

豊祝会で講演する薬師寺の山田法胤長老

豊祝会で講演する薬師寺の山田法胤長老

奈良の日本酒を楽しむ秋の恒例行事「第26回豊祝会」(奈良豊澤酒造主催)が18日、奈良市の奈良春日野国際フォーラム甍~IRAKA~で開かれ、約750人が参加した。
平成4年、奈良豊澤酒造の大吟醸「豊祝」が全国新酒鑑評会で3度目の金賞を受賞して以来、毎年開催。この日は豊祝会の会長を務める西口廣宗・南都銀行相談役が、「社員、社長、会長が一つになったからこそ金賞が生まれた。日本一おいしいお酒を飲みながら懇親を深めてほしい」とあいさつした。
第1部では、法相宗大本山・薬師寺長老の山田法胤師が「頼らない生き方~お米とお酒が醸し出した日本のこころ」と題して講演。酒にまつわる万葉集の歌を紹介したり、心を田畑に例えたりしながら「便利なモノに頼りきらず、心を耕して自らを明かりにしてください。敬う心(敬田)、ありがたく思う心(恩田)、哀れむ心(悲田)の3つを耕すと心が豊かになる」などと話した。
第2部では、「豊祝」などの銘酒を味わうパーティーが開かれ、山田法胤師らが鏡開きをした。豊祝会 メイン

【あっ、これ作ろ!】 油淋鶏(ユーリンチー)  簡単でお腹いっぱい 「肉は薄く切り開くのがコツ!」

❺

食欲の秋。ガッツリおなかを満たせて、なおかつ簡単に作ることができる「油淋鶏」を、中華メーンのお店「たべものや ちきん」(奈良市神殿町)のオーナー、井上真一郎さん(42)に教えてもらいました。
鶏料理のお店と勘違いしそうですが、店名の由来は井上さんのニックネーム「ちきん」から。でも、今回は鶏肉をバッチリ使った「油淋鶏」です。
「鶏肉を薄く切り開くので、フライパンに少量の油を引くだけで揚げ焼きにできます。五香粉を加えれば、本格的なお店の味にグッと近づきますよ」と井上さん。
タレは「揚げナス」と温野菜にかけて「揚げナスの温サラダ」などにも使える万能タレです。今夜の夕食にぜひお試しを!   (朋)

【材料】(4人分)
鶏もも肉2枚(1枚300㌘くらいのもの)、しょうゆ小さじ1、酒小さじ1、ゴマ油小さじ1、卵1個、かたくり粉適量、米粉大さじ1 《タレ》砂糖50㌘、酢50㍉㍑、しょうゆ50㍉㍑、おろしにんにく少々、おろしショウガ少々、ラー油少々、五香粉少々 《仕上げ》白ネギ(みじん切り)適量、フライドオニオン適量=写真❶

❶

【作り方】
①タレの材料の砂糖、酢、しょうゆをボールに入れ、砂糖がとけるまで混ぜ、おろしにんにく、おろしショウガ、ラー油、五香粉も加え混ぜる
②鶏もも肉の余分な脂身を取り、1枚ずつ半分くらいの薄さになるように切り開き、2等分に切り分け、スジ切りをする=写真❷

❷

③②にしょうゆ、酒、ゴマ油各小さじ1をもみ込み、卵を加えてさらにもみ込む
④③に米粉とかたくり粉を入れる(持ち上げたときに衣が垂れないくらいまで調節する)=写真❸

❸

⑤フライパンで④を揚げ焼きする(180度くらい)
⑥⑤の衣がきつね色になりパリッとしてきたら取り出す=写真❹
⑦⑥を好みの大きさに切り、皿に盛り、①のタレと白ネギ、フライドオニオン、好みの添え野菜をのせてできあがり=写真❺

❹

【ワンポイント】
○ラー油が苦手な人はゴマ油で代用可
○米粉を入れるのでサクッと揚がります
○仕上げはフライドガーリックでも良くあいます

【たべものや ちきん】 大きな羽根が自慢の「羽根付き餃子」やゴロッと大きな「からあげ」が人気。日替わりランチの内容はブログ(http://chikinkun.exblog.jp/)に掲載中。ランチは午前11時~午後2時、ディナーは午後5~9時半。事前予約で弁当の販売も。水曜定休。奈良市神殿町577|5(☎0742・62・8635)。

【撮影日記 奈良写真倶楽部】 彼岸花、美しいコントラスト

撮影日記 彼岸花 明日香村は彼岸花の名所として知られ、毎年、撮っている。
これは石舞台古墳の東側の丘を下から見上げて撮った。花だけでなく、青空も入れたかったから。彼岸花、緑の草木、青い空、白い雲…。コントラストが美しく、うまく撮れた。
秋から冬の奈良も素晴らしい。これからは紅葉が見頃になる。楽しみだ。   (出口博司撮影)

【9月例会優秀作】1席「資材置場」出口博司(広陵町)▽2席「幕間」片岡滋規(斑鳩町)▽3席「あかり」沼田毱子(奈良市)▽4席「朝焼け」橋本剛(奈良市)▽5席「荘厳」森好央(天理市)

【バンビシャス通信】 《選手丸はだか》  「勝つことは簡単じゃない。日々の努力が大切」 石橋晴行アシスタントコーチ兼選手(43)

娘2人と遊ぶ石橋晴行選手(右)。最もリラックスできるひとときだ

娘2人と遊ぶ石橋晴行選手(右)。最もリラックスできるひとときだ

アシスタントコーチ兼選手の石橋晴行選手は今年12月で44歳になる。Bリーグの現役選手の中で、レバンガ北海道の折茂武彦選手が47歳なので上から2番目、ベテラン中のベテランだ。
「引退は何度か考えたが、そのたびに違うチームから声をかけられタイミングを逸してきた」と笑う。
東大阪市出身。バスケが盛んな地域で、小学校4年からバスケを始めた。大学卒業後、1996年に当時JBL2部の日立大阪に入団。「バスケで生活するのは狭き門でしたが僕自身はラッキーでした。といっても実業団なので夕方までは仕事。終わってから練習という毎日でした」
2005年に「bjリーグ」が開幕し、大阪エヴェッサに入団。大阪のbj初年度から3連覇に貢献した。そして、16年にBリーグ開幕。大阪を3連覇に導いた天日謙作(てんにちけんさく)氏が指揮する西宮ストークスに所属し、西宮はB1昇格を果たした。この際も引退が頭をよぎったが、バンビシャスからオファーが届いた。
「現役を続けながらアシスタントコーチの仕事ができることとバンビシャスというこれからのチームに可能性を感じた」と話す。
練習がオフでも対戦相手をスカウティングするために仕事を家に持ち帰る。そんな中で、6歳と3歳になる娘2人と遊ぶことが最もリラックスできる。今は自転車の練習に時間を割いているという。
レジェンドといえる年齢にまでプロバスケ選手を続けるにはスキルはもちろんのこと、人望がなければなしえない。そんな石橋選手が最後に口にしたのは、「勝つことは簡単じゃない。日々の努力が大切」。重みがある。   (バンビシャス広報 和田真智子)

ベテラン中のベテラン、石橋選手

ベテラン中のベテラン、石橋選手

【試合結果】バンビシャス69―89仙台89ERS(14日)▽バンビシャス68―82仙台89ERS(15日)
【ホーム試合予定】愛媛オレンジバイキングス戦=25日(水)午後7時▽大和郡山市総合公園施設多目的体育館(金魚スクエア)

【鹿角抄(コラム)】 政策重視の「政権選択」を  衆院選、22日に投開票

さて、有権者の選択はどうなるか…

さて、有権者の選択はどうなるか…

平成21年8月、まるで熱に浮かされていたかのような、あの夏を思い出す。「政治が変われば日本が変わる」。目に見えぬ閉塞感の中で、たしかにそんな高揚感があった。新聞に踊る「政権選択選挙」の文字は当時と同じだが、体感温度は随分違う。
民主党(当時)による政権交代が実現したあの選挙で、私は千葉県内の選挙担当記者として、県内全13選挙区を毎日朝から晩まで走り回っていた。大阪に隣接する奈良と同様に、東京に隣接する千葉は無党派層の多い都市部と、保守地盤が強固な農漁村部が混在していた。「小泉旋風」が吹き荒れた平成17年の衆院選では12選挙区で自民党が大勝。だが、21年の衆院選で勢力図は一変。11選挙区で民主が圧勝するという、劇的な展開だった。
選挙期間中、各候補の街頭演説は聞けば聞くほどおもしろかった。自民が「日本を守る」と訴えれば、民主は「日本を変える」と応酬した。「変化」への欲求が高まっていた時期だけに、その分かりやすい対立の構図は有権者の興味を大いに引いた。
翻って今回の衆院選。構図が非常にわかりにくい。全国的には「自公VS希望・維新VS左派共闘」の「3極対決」と言われるが、奈良では同じ選挙区で希望と維新が火花を散らし、立憲民主の候補もいない。いずれかの政党に、いわゆる「風」が吹いている様子もない。はてさて何を基準に投票しようか。
こういう状況だからこそ、有権者はじっくりと各候補の政策を比べ、未来を託すに足る人物か、政党かを冷静に見極めてほしい。ちょうど、紙面では17日から候補者アンケートが始まっている。街中では候補者が政策の訴えに声をからしている。実際に会えば、話し方や目線、握手の仕方から、人柄も透けてみえるはずだ。
投開票日までは雨が多いという週間天気予報が気になるが、多くの人が投票所に足を運び、重みのある1票を投じてくれることを期待している。   (田中佐和)

【不染鉄を想う ㊦】 孤独な画家の澄み切った眼、生きとし生けるものへの温かなまなざし…

「ともしび(裏面 海)」(奈良県立美術館)。右下に文章が添えられている

「ともしび(裏面 海)」(奈良県立美術館)。右下に文章が添えられている

こんなに温かく優しいまなざしを感じる作品を描いた、奈良ゆかりの日本画家がいたことを、恥ずかしながら知らなかった。
「幻の画家」と称される不染鉄(1891~1976年)。県立美術館(奈良市)で開催されている21年ぶりの回顧展(11月5日まで)を前に、記者発表資料に添えられた作品画像を見た際、久しぶりに感動できる絵を見ることができるのでは―と気持ちが動いた。そしていざ会場を訪ね、作品を前にすると期待は裏切られなかった。
■切なさと温もりと
惹きつけられたのは晩年の作品「いちょう」。大木のそばにお地蔵さん、周囲には黄金の落ち葉が敷き詰められ、不思議な光に包まれている。実際、神社などでイチョウの落ち葉が敷かれた光景を見るとはっとすることがあるが、こんなに神秘に、温かく表現できるものなのかと感心する。子供の頃を思い出し、繰り返し描いたモチーフだそうだ。
さらに、切なさのなかにも温かさを感じるのは、夕闇に包まれた家々を描いた「ともしび」や「旅人と灯」といった作品。障子に映る灯から一家団欒の温もりがうかがえる。20歳前後で両親を失い、各地を放浪し、やがて画壇から離れた不染は家族や故郷に対する希求が人一倍強かったようで、それだけに伝わってくるものがあるのだろう。
こうした作品群を見ていると今夏、東京ステーションギャラリーで開かれた展覧会で「なぜこんな画家があまり知られていないのか」などと、反響を呼んだことが納得できる。
 ■お墓はにぎやか
不染は、絵に添えられた文章や絵はがきの言葉が直接響いてくるのも特色だ。
「これから一家楽しい夕餉でせう。どうしてか悲しい事がないのに泣きそうになる。旅人は一人きりで自分の家が遠いからでせう。野も山も見えない。灯も笑い声も何も彼も今は他人のものである。母に逢ひたい」
これはさっきの「ともしび」に添えられた文章の一部。感傷的だが、一人旅していて夕暮れに見知らぬ集落に入ると誰もが抱きそうな気持ちで、孤独な人生の旅を続ける人たちの共感も呼ぶだろう。
「お墓は淋しいと言ふけどそうではないよ。色々な人が澤山いてとてもにぎやかだよ」
多くの石仏を描き、「春風秋雨」と題した作品の文章も心にしみてくる。父母や先生、友達らを思い起こし、「今思出でむねが一パイになって この画をかいてるよ」と記す。
晩年、不染は「心が静なれば此世は全部美しい」と書いた。まるで修行僧のような境地だ。孤独な画家の澄み切った眼、生きとし生けるものへの温かなまなざしがとらえた作品は私たちの心をも優しくしてくれる。   (岩口利一)

【不染鉄を想う ㊤】 「今も光彩を放ち続けている」  岡本彰夫・奈良県立大客員教授

平成8年に転じされた団扇(個人蔵、図録から)

平成8年に転じされた団扇(個人蔵、図録から)

平成8年4月、没後20年を迎えて奈良県立美術館が「純情の画家・不染鉄展」を開催した。会場は連日の盛況で、図録は会期中に売り切れてしまった。その後八方手を尽くして、図録を求めたが、入手叶わず。20年たった今でも、古書店の検索を繰り返すが、全く姿をあらわさない。
本年没後40年を迎えて、「没後40年・幻の画家・不染鉄」が11月5日まで奈良県立美術館で開催されている。二度と同じ轍を踏まぬよう、図録は2冊手に入れた。
不染鉄は、明治24(1891)年、東京小石川の光円寺の住職の子として生まれ、本名は哲治。昭和4年に哲爾と改名し、鐵二とも号した。若年より画家を目指し、27歳で京都市立絵画専門学校に入学し、在学中から多くの賞を得て特待生にも選ばれた。
若い頃は漁師になったり、出家したりとさまざまな経験を重ねつつ、奈良に住み美術の教師となった。
後に画壇を離れ、自らの美を模索されたのであろう。絵画に添えて書かれた文章にはその心の襞が読みとれる。「神様とは正しい心、親切の事を申します」「神様とはなれては、画も文も皆だめでせう」の言葉は心に深く沁みとおる。
晩年、中秋の名月を田畑の中から眺める自分をシルエットで描いた奈良団扇に、こんな文が添えてある。
「中秋名月。あゝそうか よくわかった。正しい心の人になります。美しい心の人になります。八十三です。いつ死んでも残念でないよう あゝそうか よくわかった。真心だねえ。お月様は神様ですねえ。美しくて立派だ。ほんとに真心の人になれば御友達にもなれると思ふ。歩くとどこ迄もついてくる」
多くの若者に囲まれつつも、晩年を不遇のうちに過ごされたが、翁の影は、今も光彩を放ち続けている。

岡本彰夫さん

岡本彰夫さん

【奈良のひや酒】今秋版を15日に発売  老舗「うし源本店」と初のコラボでローストビーフプレゼント

カラフルなラベルデザインの「奈良のひや酒」

カラフルなラベルデザインの「奈良のひや酒」

「奈良のお酒を推進する実行委員会」は恒例の奈良県内6社による共通ブランド「奈良のひや酒」(各500㍉㍑、税別980円)の今秋版を15日に発売する。
「奈良のひや酒」は平成26年からの取り組みで、計15000本以上売り上げた。原料米は奈良県産にこだわっている。
今回は秋らしいカラフルなラベルデザインを採用し、宇陀牛の老舗「うし源本店」とのコラボで、抽選で5人にローストビーフが当たるキャンペーンも実施する。
奈良県内の量販店や酒類小売店などで購入できる。
実行委員長を務める酒類卸売会社「泉屋」(奈良市)の今西栄策社長は「より熟成したお酒なので冷やしても、ぬる燗にしてもおいしい。好みの蔵元を探してみてほしい」と話す。問い合わせは泉屋(☎0742・26・1234)。
今回の参加蔵元と銘柄、原料米は次の通り。
今西清兵衛商店「春鹿」=純米酒(ひのひかり)▽奈良豊澤酒造「豊祝」=純米酒(ひのひかり)▽八木酒造「升平」=純米酒(五百万石)▽梅乃宿酒造「梅乃宿」=純米吟醸酒(ひのひかり)▽今西酒造「三諸杉」=純米酒(露葉風)▽北村酒造「猩々」=純米吟醸酒(吟のさと)。

【ハロウィンジャンボ宝くじ】 幸運の女神、染岡優希さんがPR 「1等と前後賞合わせて5億円があたる」

 

笑顔でPRする幸運の女神の染岡優希さん

笑顔でPRする幸運の女神の染岡優希さん

1等と前後賞合わせて賞金総額が5億円の「ハロウィンジャンボ」(第728回全国自治宝くじ)と1等と前後賞合わせて賞金総額5000万円の「ハロウィンジャンボミニ」(第729回全国自治宝くじ)のPRのため宝くじ幸運の女神、染岡優希さん(25)が12日、産経新聞奈良支局を訪れた。
いずれも1枚300円で10月31日まで発売、抽せんは11月9日。幸運の女神の染岡さんは「奈良の方に幸運を届けたい。購入はぜひ奈良県内の売り場で」と笑顔で話していた。
産経読者5人にプレゼント
産経新聞奈良支局は「ハロウィンジャンボ」10枚1組を読者5人にプレゼントします。応募は、はがきで。郵便番号、住所、名前、年齢と奈良県版の感想を記入し、〒630―8283 奈良市油留木町44の2 産経新聞奈良支局「ハロウィンジャンボプレゼント」係へ。10月23日必着。当選者は宝くじの発送で発表に代えます。

【あっ、これ作ろ!】 ミルクジャム 家庭でも簡単に…とってもリッチな味のジャム

少し肌寒い季節になりました。家庭でも手軽に作れる「ミルクジャム」を、添加物を使わず旬の素材でジャムを製造・販売する「confiture cotocoto」(奈良市あやめ池南)のコンフィチュール作家、奥田晶子さん(45)に教えてもらいました。パンに塗ったり、お菓子作りに使ったり、いろいろ使えるジャムです。バニラエッセンスでも手軽に作れますが、バニラビーンズを使うことで香りよく仕上がります。
「ミルクジャムが冷めてからチョコチップを入れたり、ローストしたナッツを混ぜてみたりすると、食感も楽しめます。仕上げにブランデーを入れてちょっと大人の味にしたり…と、家庭だからこそできるミルクジャムを楽しんでもらいたい」と奥田さん。作り方は超簡単!なのに、とってもリッチな味のミルクジャム、ぜひお試しを! (朋)

【材料】
牛乳200㍉㍑、生クリーム200㍉㍑、砂糖40㌘、バニラビーンズ1/2本=写真❶

❶

【作り方】
①牛乳と砂糖、縦に切り込みを入れたバニラビーンズを鍋に入れて中火で炊き、人肌まで温まれば火を止める
②①に生クリームを入れ、再び中火で炊く(焦げないようにヘラで混ぜ続ける)
③②が噴きそうになったら=写真❷=弱火にして炊き続ける

❷

④鍋の縁にとろみがつき、ハチミツくらいのかたさ=写真❸=になったらできあがり=写真❹

❸

❹

 
■紅茶味
紅茶のティーバッグをサッと熱湯にくぐらせ(茶葉を開かせる)て①に入れ、しっかり味と香りがついたら取り出す
②以降の工程は同じ
■抹茶・チョコ・シナモン味など
①~③の工程は同じで、④のとろみがつき始めたら、抹茶やチョコなど好みの物を入れて、溶けたら完成
【ワンポイント】
○冷蔵庫に保管し、できるだけ早く食べきりましょう
○牛乳と生クリームは豆乳に代えても作れます

【confiture cotocoto】 3人の子育ての傍ら、自宅横の工房で「生産者さんの思いを大切にしながら素材と向き合い安心して食べられるものを」と日々コンフィチュールを炊くコンフィチュール作家、奥田晶子さんが製造、販売。ホームページ(http://confiture-cotocoto.com/)で常時約30種類のジャムやソース、シロップを販売している。11月4日「ナラ♡ラブ♡マーシカin天理駅前広場コフフン」、同11日、12日「ポケマルin深北緑地」、同25日、26日「ポケマルinけいはんな」に出店予定。10月31日に近鉄文化サロン阿倍野で講習会を開催予定。問い合わせは☎090・8534・9288。

【あっ、これ食べたい!】 インド料理店「まさら庵 TAKUMI」 一品ずつ丁寧に…メインのカレーは6種類

2600円のランチコース

2600円のランチコース

築150年の古民家を改装したインド料理店「まさら庵TAKUMI」(奈良市中町)。オーナーシェフの阪中巧さん(52)が「こだわった料理を一品ずつ丁寧に作りたい」と平成27年に開店した。落ち着いた雰囲気の店内に足を踏み入れると、妻の真規子さん(54)がすてきな笑顔で出迎えてくれる。
取材日にいただいたのは「ヤマトポークの自家製ハム バルサミコとマスタードのソース」や、トローリ熱々がたまらない「魚介のトマトカリーグラタン」など。絶妙にスパイスが効いた一品を次々に味わえるのがコース仕立ての魅力だ。
メインのカレーは6種類から選べるので迷ってしまうが、悩んだ末に「サブジマサラ(野菜のカレー)」をチョイス。独自に配合されたガラムマサラの芳醇な香りが鼻孔をくすぐり、一段と食欲をそそられる。香ばしい黒米をブレンドしたライスはもちろん、北海道産小麦を使った「ナン」や「タンドリーロティー」もカレーとの相性よし。
ジェラートにもスパイスが効かされており、一口食べれば思わず笑みが。「お客さまに笑顔で喜んでもらえるのが一番幸せ」とはにかむ真規子さんとの会話も弾み、ついつい時間を忘れてしまう居心地の良さ。お薦めです。   (朋)

【住所】奈良市中町2281
【連絡先】☎0742・47・1601
【ホームページ】https://www.facebook.com/masalaan.takumi
【営業時間】正午~午後3時(ラストオーダー同1時)、午後6時~午後10時(ラストオーダー午後8時)
【定休日】火曜日(不定休あり)
【メニュー】ランチコース(2600円、3600円)、ディナーコース(3240円、4320円、5400円)
※前日までの完全予約制

【衆院選 奈良】 3選挙区に10人が立候補  22日の投開票に向け12日間の選挙戦

支持者らとともに「ガンバローコール」で必勝を誓う候補者(手前)。12日間の選挙戦の火ぶたが切られた

支持者らとともに「ガンバローコール」で必勝を誓う候補者(手前)。12日間の選挙戦の火ぶたが切られた

10日公示された衆院選で、奈良県内では3選挙区に計10人が立候補し、22日の投開票に向け12日間の選挙戦が始まった。区割り改定により選挙区が前回衆院選の4から3に1減となったうえ、民進の希望への合流もあり、構図が固まったのはわずか1週間前。この慌ただしさの中、北朝鮮対応や消費増税について各候補がいかに訴え、有権者がどう判断するか注目される。
区割り改定で旧2区の生駒市が加わった1区は、6選を目指す民進出身で希望前職の馬淵澄夫氏(57)に、自民元職の小林茂樹氏(53)、共産新人の井上良子氏(53)、維新新人の吉野忠男氏(58)が挑む激戦。
旧3区の香芝市などが加わった2区は、前総務相で自民前職の高市早苗氏(56)に、希望新人の松本昌之氏(34)と、共産新人の霜鳥純一氏(56)が挑む。
旧3区の御所市などを編入した3区も、強固な地盤を持つ自民前職の田野瀬太道氏(43)に、民進出身で希望新人の前川清成氏(54)が対決し、共産新人の所進氏(38)も挑む。

【バンビシャス通信】 レギュラーシーズン開幕  山形に1勝1敗、まずまずの滑り出し

ブースターとハイタッチして勝利を喜ぶ寺下太基選手(右端)

ブースターとハイタッチして勝利を喜ぶ寺下太基選手(右端)

男子日本代表を率いた経歴をもつヘッドコーチ、ジェリコ・パブリセビッチ氏(66)率いる新生バンビシャスのレギュラーシーズン開幕戦が9月30日と今月1日に開催された。
13人中9人が新加入という布陣で挑んだ山形ワイヴァンズ戦は1勝1敗で、まずまずの滑り出しとなった。
1戦目はシューターである小松秀平選手(32)ら得点源を封じ込められ敗戦。2戦目は途中出場した新加入の喜久山貴一選手(25)が3㌽シュートを5本中5本とも決めるなど第3クオーター(Q)終了時点で22点リード。しかし、第4Q、波乱の展開となった。
山形はオールコートの激しいディフェンスを展開した。ここからミスが続き、一気に追い上げられる。残り34秒で同点とされたが、決勝点をクリス・ジェンキンス選手(23)が決め、辛くも勝利した。
ジェリコ・ヘッドコーチは「第3Qまでは素晴らしいできだった。しかし、まだまだ若いチーム。第4Qにミスが続いた。ただ、奈良にきての初勝利。今季のバンビシャスにとっても意味のある勝利となった」と試合を総括した。
試合中、ナイスプレーには「ブラボー」と大きな声で、そして、ミスが続くと厳しい口調で選手を叱咤。クロアチア出身の元バスケットボール選手、トニー・クーコッチらをNBAに送り出すなど選手育成の手腕にも定評があるジェリコ・ヘッドコーチは「若い選手もいるので、まずやるべきことは段階を踏んで選手を成長させていくこと」と話していた。
1試合1試合、コートの中で成長する選手をぜひ会場で応援してください。   (バンビシャス広報 和田真智子)

【試合結果】バンビシャス61―80山形ワイヴァンズ(9月30日)▽バンビシャス79―77山形ワイヴァンズ
【ホーム試合予定】仙台89ERS戦=14日(土)午後6時、15日(日)午後2時▽ならでんアリーナ

【奈良トヨタ】 社員300人 橿原神宮周辺で「クリーンキャンペーン」を実施

橿原神宮の参道で清掃活動をする奈良トヨタの社員

橿原神宮の参道で清掃活動をする奈良トヨタの社員

奈良トヨタ自動車(本社・田原本町)の社員らが2日、橿原市の橿原神宮周辺で「クリーンキャンペーン」と題した清掃活動を行った。
昭和17年創立の同社は県内で13店舗を展開している。地域社会への貢献を目的にさまざまな活動を行っており、クリーンキャンペーンは平成4年から毎年、実施している。26回目となる今回は創立75周年記念事業の一環となった。
この日はあいにくの雨の中、社員ら約300人が参加。75周年を記念し、人文字で「75」を作って記念撮影した後、橿原神宮の参道で落ち葉を集めたり、草ひきをしたりした。
同社の菊池攻社長は「清掃は基本的なマナー。クリーンキャンペーンは、地域に根ざした企業として行っている活動です」と話していた。

【天理市】 再選の並河健市長(38)が初登庁   「しっかり身をただし、一層精進したい」

決意を述べる並河健市長

決意を述べる並河健市長

天理市長選で再選を果たした並河健氏(38)が2日、初登庁し「しっかりと身を正しながら、より一層精進したい。市政は一人の力ではできない。ぜひみなさんの力を貸してほしい」と職員らに呼びかけた。
その後の記者会見では、「さまざまな施策を、議会や職員、市民、県と連携を密に取りながら、『支え合える街、天理』をキャッチフレーズに、持続可能な財政運営に注力したい」と2期目の決意を述べた。
並河氏は外務省職員などを経て、平成25年10月、同市長選に立候補して初当選。先月24日告示の市長選で無投票で再選を決めた。

【奈良県立美術館特別展 没後40年 幻の画家  不染鉄⑤】  《いちょう》  極楽浄土のような光が満ちる  11月5日まで開催

昭和40年代 個人蔵

昭和40年代 個人蔵

きらきらと輝くイチョウの木である。太い幹の根元には子供の守り尊でもある小さなお地蔵様が精霊のようにたたずんでいる。
晩年の不染は奈良公園近くの邸宅の一隅にあばら家を立ててもらい生活していた。駅前のベンチに腰をかけて道行く人を眺めたり、弟子とともにスケッチに出かけたり。不染の作品や人柄を慕って訪れてくる人々と温かな交流を育みながら穏やかな日々を送った。こうした中、自分を支えてくれる人をあっと驚かせたいとの気持ちから描いたのが、このイチョウの木である。
第二次世界大戦中に焼損したものの、現在も生まれ故郷の東京・小石川の寺に生息する樹齢千年にもなる大イチョウである。「おばけイチョウ」と呼んで親しんだこの木は、不染にとって幸せな幼少期を象徴するモチーフでもあった。「幸せな気持ちでいっぱいになると美しいいい絵が描けます」と語った不染は、しばしばこの木を思い出して、「この世のものとは思えないほど美しい絵が描きたい」と繰り返し描いたのである。
風が吹くと芝居の雪のように木の葉が舞い、地面が見えないほどの落ち葉で覆い尽くされる光景は、まさに極楽浄土のような光で満ちている。   (奈良県立美術館学芸課 松川綾子)

【奈良県立美術館特別展 没後40年 幻の画家  不染鉄④】  《南海之図》 世の浮沈味わった画家自身の姿が投影  11月5日まで開催

昭和30(1955)年頃 愛知県美術館蔵

昭和30(1955)年頃 愛知県美術館蔵

後半生を奈良で過ごした不染は昭和27(1952)年、奈良県正強中学校(現在の奈良大学付属高校)の校長兼理事長の職を退くと政治にも関心を向け、一時は政治家への転身も思う。しかし、一方で土産物の制作や作画活動にも力を入れていった。そうした中、昭和33(1958)年、長年連れ添った妻を失う。天涯孤独となった不染の脳裏に再び思い浮かんだのは、画業に行き詰まり、不安と希望を胸に妻と2人暗い夜の海を渡ってたどりついた伊豆大島の思い出だった。
切り立った岩山が深山幽谷を思わせる孤島やさざ波が打ち寄せる美しい入り江。海岸線まで軒を連ねる漁村など。この頃から盛んに描き始めた海をテーマとした作品は、島風に吹かれ、波の音を聞き、深い海の底に潜った不染自身の体験から生み出されたものである。そして、沖合に向かうにつれ深みを増す水の色や、千変万化の趣を見せる波の表情を、墨の諧調や「筋目書き」と呼ばれる水墨画法を用いて描き出した一連の作品は、画家自身の心をも癒したのだった。
本作では蓬莱山を思わせる島を前に、大海原にポツンと投げ出されたようにして風を待つ一艘の帆船が描かれている。そこには世の浮沈を味わった画家自身の姿が投影されているかのようにも見える。島の人々の温かい人情に触れ、厳しい自然に抱かれた記憶が、美しい心象風景となって昇華された不染芸術の頂点を示す作品である。   (奈良県立美術館学芸課 松川綾子)

【奈良県立美術館特別展 没後40年 幻の画家  不染鉄③】  《思出之記(田圃、水郷、海邊)》  一遍上人絵伝の丹念な学習による成果を発揮  11月5日まで開催

昭和2(1927)年 第8回帝展出品作 個人蔵

昭和2(1927)年 第8回帝展出品作 個人蔵

中央画壇との交流を断ったことなどから無名の画家として生涯を終えた不染だが、学生時代に親しくなり、晩年再会して旧交を温めた友人に日本画家の上村松篁がいる。年齢も学年も異なり、教官の中井宗太郎からは「天一坊と伊賀亮」と称されるほど人柄も対照的な2人だった。しかし、不思議と意気投合し、松篁は不染を親友と呼んで慕い、不染も上村家に長居してはともに食卓を囲むほどの親しい間柄となった。第二次世界大戦中に松篁の母、松園が疎開した奈良・平城の地を紹介したのも不染だったという。
松篁の述懐によれば、不染は学生時代、2日とおかず同じ場所にはおらず宿を転々とし、絵の勉強といえば専ら図書館などで《一遍上人絵伝》の模写をすることだったという。鎌倉時代の時宗の開祖「一遍」の事跡を各地の景観とともに活写したこの絵巻については、不染自身も「旅人が見た山河」と称賛していたが、その影響は作品にとどまらず、方々を放浪するようにして暮らした不染の生き方にも及んでいたようである。
昭和2年頃より一時奈良に居住していた不染は、帝展出品作を含む大作を手がけるなど画家として最も充実したときを過ごす。2・5㍍という長巻3巻からなる本作も、この頃制作された作品である。それぞれ奈良・西の京、京都・一口村に伊豆の海村という思い出の地が書簡風の文章とともに描かれている。松篁からは「唯一の欠点は怠け者であること」と評された不染だが、張りのある線描や透明感のある彩色には、《一遍上人絵伝》の丹念な学習による成果が発揮されている。   (奈良県立美術館学芸課 松川綾子)

【奈良県立美術館特別展 没後40年 幻の画家  不染鉄②】  《海村》 今年7月発見の幻の作品  11月5日まで開催

大正12(1923)年 日本美術展覧会首席入賞 個人蔵

大正12(1923)年 日本美術展覧会首席入賞 個人蔵

京都市立絵画専門学校に在学中の大正12(1923)年、関東大震災によって中止となった帝展にかわり、大阪で開催された日本美術展覧会で首席入賞を果たした不染の出世作。今年7月に広島県尾道市の民家で発見された幻の作品である。
今回の展覧会は「幻の画家」と銘打って、いまだ不明な点も多い不染鉄の全貌に迫ろうというもの。謎に包まれた生涯の中でもとりわけ興味深いのが伊豆大島での暮らしである。
不染は宗門の中学校を卒業した後、日本画家・山田敬中の門下生となる。23歳の時に日本美術院という、横山大観らが在籍した美術団体の研究会員となって本格的に絵の勉強を始めた。しかし、両親をなくした寂しさや将来への不安などから次第に自信を失い、現実から逃れるように当時知り合った妻とともに伊豆大島へと渡った。温暖な気候風土とあんこ椿で知られる独特の風俗などから、画家たちの逗留地としても知られた大島だったが、不染は結局この地に3年もの間滞在することになった。
大島での生活を懐かしんで描いた本作には、石垣で囲まれた茅葺屋根の民家が海岸のほど近くまで軒を連ねる海村の景観や、頭上におけをのせて歩く島民や牛や犬などの動物、沖合で漁をする船や多種多様な魚介類まで描かれている。そして画面の下部には、新婚当時のほほえましいエピソードが小さな文字で書き添えられている。「ほとんど島の人となって暮らした」という島での生活ぶりをうかがい知ることのできる希少な作品である。   (奈良県立美術館学芸課 松川綾子)

【奈良県立美術館特別展 没後40年 幻の画家  不染鉄①】 《山海図絵(伊豆の追憶)》 日本人の原風景ともいえる不染独自の富士図 11月5日まで開催

大正14(1925)年 第6回帝展出品作 木下美術館蔵

大正14(1925)年 第6回帝展出品作 木下美術館蔵

不染鉄(ふせん・てつ 本名・哲治 後に哲爾に改名)は明治24(1891)年、東京・小石川で生まれた。父親は僧侶だったが気ままに暮らしたいとの理由から絵描きを志し、日本画の勉強を始めた。京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)では優秀な成績を収めて首席で卒業し、帝国美術院展覧会(帝展)では入選を重ねるなどして将来を嘱望された。しかし、戦後は画壇を離れ、中学校の校長を務めることになった奈良で好きな絵を描いて84年の生涯を終えた。
不染の名が忘れ去られてしまった原因の一つに展覧会に出品された大作の多くが所在不明で、その評価が遅れた点が挙げられる。白い雪を冠した富士山を2㍍四方の大画面に収めた風景画の本作は幸運にも美術館に収蔵され、大切に保管されてきた不染の代表作である。
伊豆大島から見た富士山の眺めをもとに描いたもので、前景には青く輝く太平洋が広がり、紅葉する山里から富士山を越えると冬の日本海へと至る。上空を飛行する鳥のような視点で捉えた光景は壮大だが、そこには自然とともに暮らす人々の姿が細やかに描き込まれている。数ある富士山をテーマとした名画の中でも、素朴な温かさを湛えた本作は、日本人の原風景ともいえる不染独自の富士図となっている。   (奈良県立美術館学芸課 松川綾子)

日本画家・不染鉄。この耳なじみのない画家の没後40年を記念する展覧会が11月5日(日)まで、奈良県立美術館(奈良市登大路町10―6)で開催されています。いくつかの作品を順次紹介します。

【あっ、これ食べたい!】  珈琲「さんぽ」  人気の海南鶏飯は時間限定、数量限定

あっ、これ食べたい!2 明日香村役場近くにある珈琲「さんぽ」。人気の時間限定(午前11時~午後3時)、数量限定の海南鶏飯(ハイナンチキンライス)は、店主の小田泰幸さん(49)の妻、珠生さん(45)が作っている。
親戚が住むマレーシアで作り方を学び、日本人の口に合う海南鶏飯に。国産鶏もも肉をやわらかくゆで、鶏のスープで奈良県産ヒノヒカリを炊き、甘辛い特製ソースがかかっている。
「お好みでチリソースと生姜醤油をかけ、混ぜながら食べてください」と珠生さん。手作りの杏仁豆腐とスープが付き、スープは鶏のうまみがたっぷり。
「でも、あくまでメインは珈琲」と口をそろえる泰幸さんと珠生さん。「ミルクや砂糖無しでも飲みやすいように厳選した豆を自家焙煎し丁寧に抽出しています」と泰幸さんは話す。
カドがたたず、やわらかでほのかな酸味と後からくる甘みがある珈琲は、注文してから1杯ずつハンドドリップで抽出している。ランチセットは珈琲付きで、お薦めです。  (朋)

【住所】明日香村岡55-4
【連絡先】☎0744・41・6115
【ホームページ】http://coffee3po.exblog.jp/
【営業時間】3~9月は平日午前11時~午後6時(ラストオーダー同5時半)、土・日・祝日は午前10時~午後6時(ラストオーダー同5時半)、10~2月は平日午前11時~午後5時(ラストオーダー同4時半)、土・日・祝日は午前10時~午後5時(ラストオーダー同4時半)
【定休日】木・金曜(祝日の場合は営業)
【メニュー】海南鶏飯(千円、ランチセット1350円)、鶏のカレーライス(千円、ランチセット1350円)、全粒粉ときびさとうのシフォンケーキ(420円)。珈琲はさんぽブレンド(480円)、エチオピア(500円)、ブラジル(450円)など
※全て税別 海南鶏飯と鶏のカレーライスは前日までの予約をおすすめします。

【やまと人巡り】 朗読劇「みつめればそこに」脚本・演出 小栗一紅さん(47)  「入江泰吉の半生、丁寧に描く」

人巡り 小栗一紅さん (大) 10月9日に奈良県立図書情報館で開催される朗読劇「みつめればそこに」(大阪ガス主催)の脚本・演出を手がけた劇作家、小栗一紅(おぐり・かずえ)さん(47)は、「写真家・入江泰吉(たいきち)の半生を描いた。観劇後、入江の撮った写真を見てもらうと、その写真に込められた祈りのようなものが浮かび上がってくる」と自信をもってPRする。
奈良出身の入江泰吉(1905~1992年)は昭和20年に大阪大空襲に遭い、奈良に引き上げた。以後40年以上にわたって奈良を撮り続けた。
小栗さんは入江の自伝をもとにして、86歳で亡くなるまでを80分間の朗読劇に凝縮。40歳からの〝生き直し〟を、地域、友人、奈良の地とのつながりとともに丁寧に描いている。「入江はお金や地位を目指したのではなく、自分を無にして後世に写真を残すという使命感で撮り続けた。その心意気がだんだんわかってきて、心打たれた」。本番が楽しみだ。
今でこそ劇作家だが、もともと小栗さんは役者だった。大阪芸大卒業後、劇団の作家がいなくなり、書かざるを得なくなった。30歳だった。
当初は頭の中の空想を書いていたが、最近は自伝を読んだり、取材をして、演出する。次作は戦中、米国で機関士をしていた日本人を描く予定。「史実に基づいて、あまりスポットライトの当たっていない日本人を描いていきたい」という。今回の入江を描いた「みつめればそこに」同様に素晴らしい劇が期待される。   (吉)

 ■朗読公演「みつめればそこに
10月9日(月・祝)午前11時、午後3時の2回。朗読劇(80分)のほか秘蔵写真が映し出されるプロローグ(15分)やアフタートーク(20分)もある。会場は奈良県立図書情報館(奈良市大安寺西1―1000)交流ホール。定員は各回200人で予約が必要(先着順)。料金1000円。問い合わせは奈良県立図書情報館(☎0742・34・2111)。

10月9日の本番に向け、練習する出演者

「みつめればそこに」を熱演する出演者

【吉野神宮書作展】 産経新聞社賞に上田歩さんら   特別賞・特選は30日まで神宮回廊で展示

産経新聞社賞を受賞した上田歩さんの作品

産経新聞社賞を受賞した上田歩さんの作品

第39回吉野神宮書作展(吉野神宮文化協会主催、産経新聞社など後援)の優秀作品が決まった。学校、書道塾計227団体から小・中・高校生の作品3747点が寄せられ、特別賞55点と特選500点、準特選2159点、佳作・入選1033点がそれぞれ選ばれた。特別賞と特選は30日まで、同神宮回廊に展示されている。
特別賞受賞者は次の通り(敬称略、協会発表名簿)。
【神社本庁統理賞】矢野蒼馬(大淀緑ケ丘小)森徠領(同)石田楓佳(香芝中)信夫麻希(育英西高)
【文部科学大臣賞】福西結衣(真美ケ丘第一小)山野和佳(帝塚山中)堀田彩衣(奈良文化高)
【知事賞】木谷心咲(吉野北小)世古奈々美(真美ケ丘第二小)宮原寿佳(斑鳩中)樫原志帆(奈良育英高)
【県議会議長賞】藤井敦(高田小)綛谷耕平(下田小)植木陽菜(光陽中)百合美穂香(西和清陵高)
【県教委賞】松井綺星(畝傍北小)佐伯和哉(耳成南小)森川愛観(桜井西中)石崎諒子(二階堂高)
【吉野町長賞】小西優花(安倍小)礒山流輝(三和小)宮井沙絵(智弁学園奈良カレッジ中)藤永朋巳(育英西高)
【吉野町議会議長賞】森川仁哉(畝傍南小)中木彩乃(真美ケ丘西小)丹喜仁千華(白樫中)安田みなみ(一条高)
【吉野町教委賞】関本心愛(忍海小)松尾美咲(斑鳩小)古林瑞貴(奈良教育大付属中)井村泰都(高田高)
【産経新聞社賞】広川瑠美(新庄小)関本心來(忍海小)上田歩(片塩中)巳波愛奈(奈良女子高)
【近畿日本鉄道賞】田川心那(畝傍南小)上畠日葵(前栽小)山脇莉子(片塩中)丸橋美佑(桜井高)
【吉野山観光協会賞】上田歩(香久山小)大江蒼心(吉野北小)玉置愛(高取中)山口藍(西和清陵高)
【県書道教育研究会賞】吉阪正悟(片塩小)山﨑政人(斑鳩西小)長野夢叶(斑鳩中)酒井華(高田高)
【吉野町文化協会賞】小畑咲綾(磐城小)東本拓也(斑鳩西小)関祐哉(畝傍中)中尾綾夏(奈良学園高)
【吉野神宮文化協会賞】中佑介(大淀希望ケ丘小)徃西杏(高田小)宮本萌々子(斑鳩南中)石田侑那(智弁学園奈良カレッジ高)

【奈良の伝統】 火の粉飛び散る迫力  古式包丁鍛冶を実演 「菊一文殊四郎包永」

さし古式包丁鍛冶①鎌倉時代の刀鍛冶技術を受け継ぐ奈良市雑司町の刃物店「菊一文珠四郎包永」が、平成9年に米・ニューヨークに進出してから20周年を迎えたことを記念し、24日、古式包丁鍛冶を実演。火の粉が飛び散る迫力ある作業に、訪れた人たちは見入っていた。
実演を行ったのは、30年以上の実績を持つ伝統工芸師の榎並正さん(55)ら鍛冶職人3人。この日は、1100度の炉で熱した地金に刃金をつけ、鎚でたたく「刃金付け」の作業を披露した。また、柄付け師・銘切り師による「柄付け」や「銘切り」の実演なども行われた。
菊一文珠四郎包永の柳沢育代社長(49)は「作業を見て少しでも鍛冶職人の仕事に興味を持ってくれる方がいれば」と話した。
このほか、「刃金付け」の体験も行われ、京都市の自営業、鈴木直さん(47)は「実際にやってみるとかなり難しかった。日本伝統技術の原点に触れることができてうれしい」と話していた。

【やまと人巡り】 「若い世代にも奈良の魅力を伝えたい」  な・ら・らイメージモデルグランプリ、辻真帆さん(20)

【人巡り】高辻さん③ 「落ち着ける町、奈良の良さを若い世代に伝えられれば」。そう語るのは、奈良市の商業施設「な・ら・ら」のイメージモデルのオーディションで見事グランプリに選ばれた高辻真帆さん(20)だ。
な・ら・らは近鉄奈良駅から徒歩1分で、レストラン10店舗などを構える人気スポット。インターネット投票などにより選ばれたイメージモデルをポスターやイベント活動に起用し、施設のPRや認知度向上を狙う。9月6日から9日に同施設で開催されたビアガーデンでは自らビールを注ぐなど早速「な・ら・らの顔」として活動を開始した。
京都府宇治市出身で、幼い頃から奈良に親しみがあった。「奈良では鹿と触れ合ったり、ふらふらと散策したり、それだけで楽しい」と声を弾ませる。奈良は心を落ち着かせる場所だという。
今は大阪の大学に通いながらモデルの活動を続けている。SNSを利用することも多く、「インスタグラムなどで写真を載せると反響が大きい」。若者に影響力の大きいSNSをこれからもな・ら・らのPRに活用していく。
「奈良の町を歩いていると若い人がもっといてもいいのにと思う。きれいな町並み、おいしいご飯…。奈良の魅力をもっと知ってもらえるような・ら・らからアピールしていきたい」。とても意欲的だ。今後の活動に期待したい。   (藤)

【やまと人巡り】 「小麦アレルギーの人にもおいしくピザを食べてほしい」 ICAROオーナー、中西光さん(38)

????????????????????????????????????

「小麦アレルギーの人もそうでない人にもおいしいピザを食べてもらいたい」。今年5月、平城宮跡近くにオープンしたピッツェリア「ICARO」(奈良市二条大路南5―2―48)のオーナーでピッツァイオーロ(ピザ職人)の中西光さん(38)は話す。イタリアンエスプレッソを学びに単身イタリアへ向かったが、本場のナポリピザに感銘を受け、ピッツァイオーロの道へ進んだ変わり種。3カ月で150枚以上食べ続け、体重が10㌔増えたこともあったという。
ただ、その後、娘(3)が小麦アレルギー、姉(43)がグルテン不耐症だということが発覚し、グルテンフリーのピザ作りを学びに再びイタリアへ。「真のナポリピッツァ協会」が実施するグルテンフリー研修と「イタリアセリアック病協会」の研修を受けて修了証を取得。「ICARO」ではパスタはグルテンフリー、ピザも小麦粉の生地とグルテンフリー生地から選べるようにした。「多くの方に体にやさしく、おいしい物を食べてもらいたい」と願っている。
営業時間は午前11時半~午後3時半(ラストオーダー午後2時半)、午後5時半~午後10時(ラストオーダー午後9時)で月曜日と第2日曜日が休み。☎0742・93・9070。   (朋)

【あっ、これ食べたい!】 ICARO(イーカロ) 小麦アレルギーでもOK ナポリピザ

????????????????????????????????????

今年5月、平城宮跡近くにオープンしたピッツェリア「ICARO」(イカーロ、奈良市二条大路南)。十津川村の無垢材を使用した明るく広々した店内は入り口にスロープも完備、車いすやベビーカーでも入りやすい。オープンキッチンでは、大きなジャンニアクント社のピザ窯が存在感たっぷりに鎮座している。
オーナーでピッツァイオーロ(ピザ職人)の中西光さん(38)は、イタリアで本場・ナポリピザに感銘を受けて現地で修業。「真のナポリピッツァ協会」に認定され、グルテンフリーのピザ作りも学んだ。
パスタは全てグルテンフリー。ピザは小麦生地とグルテンフリー生地、古代種小麦を使った生地(要予約)の3種類から選べる。野菜も厳選された有機野菜などが中心だ。オリーブオイルはイタリアから取り寄せた上質の物を使うなど、「グルテンフリーでもおいしい物を作り、安心して食事をしてもらいたい」(中西さん)とこだわりたっぷり。
グルテンフリーのピザ生地は扱いが難しいというが、中西さんの手にかかると「サクッ」「モチッ」とした食感に。グルテンフリーピザの注文が入ると、小麦粉が混ざらないようにユニホームも着替えて専用のラボ(個室)に入り、作業するという。「デザートもアレルギー対応できますよ」と中西さん。
小麦アレルギーのある人もそうでない人も、一緒に楽しく食事のできる店。お薦めです。   (朋)

【住所】奈良市二条大路南5-2―48
【連絡先】☎0742・93・9070
【ホームページ】https://pizzeria-icaro.jp/
【営業時間】午前11時半~午後3時半(ラストオーダー同2時半)、同5時半~同10時(ラストオーダー同9時)
【定休日】月曜と第2日曜
【メニュー】マルゲリータ(1530円)、グルテンフリーのかぼちゃのニョッキ ゴルゴンゾーラクリームソース(1870円)イーカロピッツァセット(2200円)、イーカロピッツァプラン(2800円)、クアトロフォルマッジ(2210円)など。ピザはプラス400円でグルテンフリーに変更可能
※全て税別

求人情報求人情報
購読・試読のお申込み購読・試読のお申込み
お問い合わせお問い合わせ

産経新聞各紙
産経新聞産経新聞
サンスポサンスポ
Business iBusiness i
夕刊フジ夕刊フジ

グループ各紙
月刊TVnavi月刊TVnavi
MOSTLYMOSTLY
正論正論
週刊ギャロップ週刊ギャロップ

読もうよ新聞読もうよ新聞

野球教室